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ウォーキングデッドを観てきて、

何の気なしに観始めた。
回を追うごとに、観ないではいられなくなり、結局、ジーズン6までを、一気に観た。
こんな観方をしたのは初めてだから、なんだか、作り手に申し訳ないような気持ちがする。
もう少し、ゆっくりと回を追っていきたかったと、今は思う。
もう、一度見るかも知れない。

このドラマには、特異なものが詰まっている。
すべての要素が詰まっている。ないのは、コメディー的要素ぐらいだろうが、観方によっては、これは、コメディーともとれなくもない。
何しろ、作り話なのだから。
前提に大嘘があるのだから。

だからこそ、このドラマが、貴重に思える。
架空の設定の上で、繰り広げられる生臭い、葛藤劇。
だからこそ、真実味があるのだ。
『ウォーキングデッド』は、そんなドラマだ。
ホラーと捉えると、あまり怖くはない。ショッカーとして観たら、たいして驚きはない。
そのかわり、異様にドラマが詰まっている。
観ながら思うのは、「ああ、こんなドラマが書けたらな」ということ。
「書けやしない」
というのと、
「書けるはずだ」
が交互に押し寄せる。
うずうずする。
こんな感情を抱いたのは滅多にないことだ。
いつのまにか、ボクがいなくなっている。
誰だか知らないが、とにかくドラマを書きたがっている人間が、羨望して観ている。
シーズン7は、観られることは観られるが、まだ見ないでおこう。
6までで、充分なところもあるが、数少ない楽しみを、もう少し、後に回したいのだ。

『ウォーキングデッド』は、そんな映画だ。
ボクにとっては、ドラマの塊だ。


2017/03/22

近ごろ、怠けている。
机に向かうのが、苦しい。
ペンを持つことも少ない。
これじゃ駄目だと思いつつ、毎日が、過ぎて行く。

先日、録画してあったテレビ番組を、続けて何本か観た。
自動的に録画されているものがほとんどで、意図したものではないので、ほとんどは、消してしまうのだけれども、これはいつか観てみようというものは、残している。
それらのうちから、何本かを観たのだが、どれも、面白い。
小野田寛郎さんのドキュメンタリーなどは、録画しておいて良かったと思った。
ずっと、小野田さんのことを考えていた時期があり、なんとか作品に出来ないかと思っていたが、どのような作りにしたらいいのか、答えが出なかった。
ボクの中では、ピーターオトゥールの『マーフィーの戦い』が、頭にあった。
モチーフはこれだと、思っていたが、その先がうまくいかない。
改めて、『マーフィーの戦い』を観たが、イメージにあったものとは、かなり違っていた。
こういうことは、本当によくあることだが、ここまで、頭の中にあったものと実際の映画が、かけ離れていたのは、珍しいケースだ。正直、がっかりした。
ボクは、もしかしたら、『マーフィーの戦い』は、小野田さんをモデルにして作ったのかと思っていた。
しかし、もちろんそれは違っていて、『マーフィーの戦い』は、小野田さんが救出される数年前に作られた映画で、ボクも、確かに、小野田さんのニュースが流れる何年か前に観た記憶がある。
小野田さんが『マーフィーの戦い』のモデルではなくて、『マーフィーの戦い』と似たようなことが、日本でも起こっていたと言うことなのだ。
第一、『マーフィーの戦い』には、原作がある。
おまけに、イギリスの商船が、ドイツのUボートに襲われて…といった具合に、物語は全くと言ってい良いほど、異なっている。
なのになぜ、この映画と小野田さんが重なったのか、わからない。
終戦となってもなお、たったとりの戦いを続けていたことなのか?
もちろん、それが大きく、ボクの意識の中にあったのだろうが、とんだ、見当違いをしたものだ。

それでも、ピーターイェーツの『マーフィーの戦い』が、ボクの中で、映画としての価値を失ったのかというと、そんなことはない。
名作だと思っている。
こういう異質な作品は、めったに作られることはないだろうし、これからも二度と作られることはないだろう。

テレビを観て…

仲代達矢 讃、讃、讃!!

「海辺のリア」のプレス等にて、書いたステイトメントを、ここに転載します。






仲代達矢 讃、讃、讃!!




朗読劇「死の舞踏」の稽古中だったと思う。ボブ・ディランの歌に「オン・ザ・ロード・アゲイン」というのがある。同じタイトルを冠したロードムービーのシナリオを仲代さんに渡した。コピー台本である。 数日後、無名塾のSさんに仲代さんの感触を訊いた。 「認知症の話なんだよなあ」と仲代さんが仰っていたとのこと。そのニュアンスは、照れ臭さと困惑が一体となったものだった。(認知症の役は、凄く難しいと後に仲代さんは、言っていた)そんな仲代さんの背中を押したのは、Sさんだった。「こういう病気を抱えている家族は沢山いる。共感を得ると思う! 演ってみたらどうですか?」 と。 『海辺のリア』はこうして船出した。 仲代さんとの三度目の作品。 仲代達矢と言う稀有の役者を丸裸にしてみたいという思いもあった。それが無謀な試みであることも判っていた。それでも、今ボクの出来ることは、このシナリオを現実化する以外にはないと確信した。数十回の改訂の末、『海辺のリア』と改題し、印刷台本とした。仲代さんに連絡し、正式に出演の了解をとった。後は、資金集めだ。幸い、日本映画放送の宮川さん、そして、社長の杉田さんがのってくれた。 無謀な試みに、無謀にも賛同してくれる人たちが集まり、『海辺のリア』は撮影に突入した。 今の日本映画がどういう状況にあるか、知らぬ存ぜぬを貫き通していたボクは、それでも、この映画の完成時、恐怖におののいていた。今の日本映画とは、全く違ったアプローチだったからだ。しかし、その恐怖心は、ボクの妄想だと知った。初号を観た、仲代さんのお弟子さんらが号泣しているではないか! 仲代さんの満面の笑みも見えたようだった。 雑念を全て取り払い、ひとりの人に贈る映画を初めて作った。仲代さんに向けて集中した。その結果が報われるものだったことに、ボクはひとりほっと胸を撫で下ろしたのだ。
御年84歳の仲代さんが、全身全霊を賭けて演じる桑畑兆吉に、心を打たれない人は、いないだろう。 それは、迫真を通り越した、圧倒的な熱量に溢れている。こんな演技が出来る人を、見たことがない。 それでもボクは、撮影現場での打ち上げで、こんなことを言った。 「これで終わりじゃ、シャレにならないですからね! 次を撮りましょう!」 と。

あけまして、おめでとうございます。

おくればせながらです。
去年、義父が亡くなってしまい、本来なら、喪に服さなければならないので、新年のあいさつは、控えるべきなのですが、たまたま、数年ぶりに新作を作ったこともあり、仕事関係の人には、賀状を送らせてもらっています。もちろん、妻にも、承諾済みです。
義父も、きっとゆるしてくれてると思っています。

連れ合いを亡くすと言うことが、どんなことなのか、ボクにはわかりませんが、葬式から100日ぐらいしてからの義母は、まだ悲嘆に暮れているようです。
娘である妻も、平常を装っていますが、きっとことあるごとに、父親の事を思っているに違いありません。

ボクの母は、ボクが32歳の時に亡くなりましたが、今でこそ、亡くなった母よりも長く生きて来て、その辛さ、寂しさは、薄らいできましたが、10年ぐらいは、何をするにも、母の事が思い出されて、ああしてやればよかった。こうしてやればよかったなどと、後悔ばかりしている始末です。
父の時は、ボクが、フランスのヴズールと言うところの映画祭に呼ばれていた時で、審査委員長として呼ばれたのですが、急遽帰国したことを覚えています。
こういう仕事をていると、こんな私事で、仕事を放りだすのは、いけないことなのですが、なんとかわがままを聞いてもらい、帰国しました。

父との思い出は、喧嘩と言うか、小言を言われるだけの存在で、今でも時々憎らしい気持ちになりますが、人間には、いろんな状態があり、苦しい時や、辛い時に、誰か身近な人に当たると言うのは、誰にでもあることだと今は理解しています。
と、言うか、自分も似たことをしている時もあります。
人間とは、弱いのだなとつくづく思います。
ボクは、随分と父親には、逆らい、何一つ、父親ののぞむような生き方は、してきませんでしたが、きっと、父親は、そんなボクが、歯がゆくて仕方がなかったんだと思います。
いまでいえばDVまがいに、殺気を帯びた目で、ボクを殴ることもありました。
そうなってしまうともう手は付けられませんから、されるがままになっているのですが、それがボクの精神形成に、いい作用をしたことはあまりなく、反抗とか反発と言うのの芽が出始めたのも、そのころからではないかと思っています。
でも、人は、いつか死にます。
父の葬式の時に、形ばかりの喪主を務めさせてもらいましたが、みなさんに何か話している途中で、急に悲しみがこみあ…