2016年12月9日金曜日

「冷え物」について、

多分、今では名前も知らない人が沢山いるだろう、小田実氏。
かつては、ベ平連を指揮し、政治的な人としてのレッテルを張られた人だったが、ボクと小田氏との出会いは、(勿論直接お会いしたわけではない)世界貧乏旅行記「何でも見てやろう」だった。
20代前半の頃で、難しい文章は、ボクにとっては、読みにくかったが、世界の広さに圧倒され、バイブルのように持ち歩いたのを、覚えている。
そんな小田氏と再会したのは、かれこれ、40年ぶり。
それも、聞いたこともない、「冷え物」と言う、小説だった。

「冷え物」は、同和問題に焦点を当てた小説だと言われている。
言われているだけでなく、小田氏自身も、はっまりとそう書いている。
しかし、ボクには、そうは読めなかったし、そう読むべきではないと思った。


それには、わけがある。
先月、佐賀県鹿島市で行われた、同和問題の講演依頼が舞い込んできて、
「同和の事は、良く知りませんが、人権については、少しは話せるかもしれません」
と、メールを打ち、
ボクの映画「日本の悲劇」の上映をしていただければとの条件付きで、講演依頼を受けたからだ。

同和問題に興味はあったものの、同和に関しては、そんなに話も持ち合わせていなかったので、あまり踏み込んだ話は出来ない。
映画と関連させての、「人権」の話だったら、言えるかなと思い受けた。

しかし、空港に着くなり、役所の担当者が迎えに来ていて、各地で、いまだに「同和問題」が、なくなってはいないことを知り、
ついては、少しだけでも結構ですから、同和問題に触れていただきたい。同和問題の講演ですからと釘を刺されてしまった。
また、えらいことを引き受けてしまったなと、思った。

この国だけではなく、「差別」の問題は、各国にあるんだと思う。
差別する側と差別される側。それだけの問題ではなく、差別された側も、また、差別する側に回っている現実。
それは、ボク自身にも、ある。

ボクの国籍は、日本人と言うことになっているが、遡れば、どこから先祖が来たのかはわからない。
埃をかぶった過去帳を見ても、何がなにやらわからない。
そんな日本人が、ボクだ。
かつて、「ルーツ」と言う自伝的小説があっったが、あのように明快でないのが、ボクだ。

そんな自分自身のルーツが判らない中で、人を差別するのは、自分で自分を断罪するようなものだと思っている。
しかし、ボクは、そんなに正しい人間ではない。
意識としての差別は、ボク自身の中にあったし、今でも、あるのかも知れない。

「同和問題」は、すなはち、自分自身の問題なのだと思うのは、今、この歳になってのことだし、少なくとも、20代の頃は、人を平気で、差別していたのではないかと思う。しかし、人を差別すると言うことは、自分もまた、差別されることだと思い知った。

最初に、そのことを感じたのは、20代後半に、フランスに行った時だ。
田舎町をふらついていて、空腹に、ホテルで食べられるようなものを探しに、小さなスーパーマーケットに入った時のことだ。
身ぎれいな老婆がボクを見て、蔑んだような目で見て、汚い言葉を浴びせてきた。

それまでボクは、人から差別されるなんて、考えてもいなかった。
しかし、日本人であるがために、差別されると言うことの現実を目の当たりにした。
それは、いままでのすべての価値観を変えてしまうほどの衝撃だった。

正直、辛かった。
多分、その老婆は、大戦で親族を亡くしたのかも知れない。
敵国のひとつが日本で、その恨みで吐いた言葉なのかも知れない。
「ボクが、起こした戦争ではないだろう」
とその時は、そう思ったが、自分が日本人である限り、それだけでは済まないこともわかった。

以来ボクには、日本人であることの誇りと同時に、負い目もある。
存在することの、肯定と否定。
それは、もともとコムプレックスの塊だったボクを、一層、神経質なものにさせた。
カフェに入って、コーヒーを飲んでる時も、誰かがボクの方を見て笑っているだけで、卑屈にうつむいた。
通り過ぎた人から、すれ違い様に罵声を浴びせられたこともある。

そんな色々なことを、帰国したボクは、すっかり忘れていた。
それが、たった一度の講演依頼を受けたがために、蘇ってきた。

講演のことは、このぐらいにしておこう。
とりたてて、自慢するほどのことでもない。ボクとしては、「日本の悲劇」が、沢山の人に観てもらえただけで、満足だ。反応も、悪くはなかった。

帰ってからのことだ。
ボクの中では、「同和問題」と言う言葉が、頭から離れずにいた。
「冷え物」と出会ったのは、そんなときだった。

凄まじいばかりの筆力で書かれたその本が、ボクを虜にした。
読み続けたくない本だが、読まずにいられない力があった。

いずれにしても、本や映画は、出会いだ。
「冷え物」を読んで、何かが芽生えたわけではないが、最近では、ほとんど出会うことのない、不完全な人間たちの葛藤が、展開されている。
そこに、息遣いのようなものを感じ、いまだに、記憶に残っていると、言うわけだ。

今では、恐らく、キンドルでしか読めない本だろう。
「冷え物」と出会うために、電子ブックに手を染める。
それがいい決断だったことを、願いたい、







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