2016年12月30日金曜日

ある年の年末のこと、

敬愛していたシナリオライターは、数えるほどしかいない。
その中のひとりが、松原敏春さんだった。
一度だけ新宿の行きつけの飲み屋でお会いした。
嬉しさのあまり度を超した酒で、ボクは愛用の万年筆を松原さんに渡した。
とにかく書きやすい万年筆で毎日持ち歩いていたものだが、軸の部分にガムテープが巻かれていた。
運転中にブレーキを掛けたら折れたからだ。


筆を折ると言う言葉を思い出したのは、家に帰ってからの事だった。


今でも、悔いることだった。
今でも、亡き、松原さんに、申し訳なかったと思っている。
あんなに、尊敬していたのに!


年末になると、必ず、思い出すことだ。

2016年12月15日木曜日

語り部について、

ぽっかりと穴の開いた時間を埋めるのは、ボクにとっては本を読む事だ。
映画ではない。
映画は、見に行くものだし、穴の開いた時間を埋めるものではない。
ボクは、若いころ、60過ぎたら、作家になろうと思っていた。
何の作家かまでは、決めてなかったが、とにかく、物を書いて過ごそうと思っていた。
60を2年ほど過ぎた今、その考えがいまだにあるのは、驚きだが、驚いたところで、物が書けるわけではないし、多分、ボクの理想のようなものなのだろうと、思っている。

去年は、仲代さんからの直接の指名が来て、朗読劇の演出と、時代劇の脚本を書いた。
20年、映画を作って来たので、シナリオライターとして、もの作りに参加するのは、20年ぶりだ。
朗読劇の方も、演出担当者がホンを直すのだと聞いて、やっと演出に専念できると思ったのに、またホンづくりに心血を注がなくてはならなくなり、他人のホンで、演出することは、もうできないのかも知れないと落胆した覚えがある。

書きたくないわけじゃないが、書くなら、自分の好きなように書きたい。
ひとにとやかく言われて直すのは、もう20年前にやめたはずだが、そういう訳にはいかない。
シナリオライターの宿命みたいなもので、第一稿だけが、勝負であり、自分の世界だ。

今、とある原作物のシナリオを書いている。
以前にも、原作をもとにしてシナリオを書いたことはあるが、自由に作り替えることが出来た。
エッセイだったり、自伝だったりしたからだが、ほとんど、オリジナルのシナリオだった。
もちろん、オリジナルシナリオの依頼も沢山あった。
しかし、今は、どうやら様子が違うらしく、原作物を脚色することが多くなった。

原作ものの脚色で思い出すのは、トリュフォーのことだ。
「突然炎のごとく」など、原作に忠実にシナリオを書いたと聞く。
ある時は、原作の本を現場に持ち込み、映画を撮ったそうだ。
地の文を巧みに、ナレーションとして使っている。

これは、やろうと思っても、なかなかできるものではない。
どうしても、自分の世界に引き込もうとする。
小説と映画は、違うと言う理屈のもと、作り変えてしまうのだ。
しかし、トリュフォーは、違っていた。
小説世界をなんとか、そのまま映画にしようとした。
それをやってのけたのは、トリュフォーだけじゃないか?
それほど、その小説にほれ込んだと言うことなんだろう。

脚色をする際には、そんな原作者へのリスペクトが前提にある。
リスペクトなしには、脚色は、なしえないと言ってもいい。

今取り組んでいるシナリオにも、それは当てはまる。
精読して、とにかく、作者の筆の動きまで、感じようとする。
しかし、それは、自分を捨てる行為でもある。
筆の進むままと言うわけにはいかない。

最近、とみに思うことがある。
それは、いかに、無私の境地に自分を置くかと言うことだ。
「私」なんて、なくったっていいと思えるか。
そこが、勝負だと。

どんなに、無私の境地に置いても「私」は、必ず、書いたものに出て来る。
そういう人がいるが、それを踏まえても尚、無私になれるかと言うことだ。
「私」は、出なくていいのだと断定する。
自分は、誰かの語り部で、いいのだと。

しかし、なかなかうまくは、いかない。
語り部に徹せられない。
どうしても、「私」が出て来てしまう。
むずかしい。

毎年、オリジナルのシナリオを一本は、書こうと思っていた。
もう随分前の話だ。
オリジナル脚本集なるものを、自主出版したこともある。
もう随分前だ。
今、また、そんな気持ちが募ってきている。
映画化できるかどうかはわからないが、とにかく、毎年、一本、オリジナルのシナリオを書く。
それが、来年からのテーマになりそうだ。
ただ、その際には、今まで果たせなかった、「語り部」の気持ちで、書くことを念頭にいれて書こうと思う。

ボクの場合、それほど先があるわけではなさそうだ。
だから、残された人生、誰か一人のために、書く。撮ることが、意義深く感じる。
語り部として。









2016年12月12日月曜日

Mさんのこと、

最近、ひとりでコーヒーを飲んでいると、Mさんのことを、思い出すようになった。
Mさんのことは、それまでも、年に何度かは、思い出すのだが、最近では、とみに思い出すことが多くなった。

Mさんとは、公務員(郵便局員)の時の、先輩後輩にあたり、同じ班に属していた。
配達区域も、同じ西新宿で、良く、配達場所を教えてもらった。
昼飯も、待ち合わせて同じ場所で食べた。
旨い店を見つけるのが得意なMさんは、西口会館にあったラーメン屋とか、ハイチと言うドライカレー屋とかを教えてくれた。
コーヒーも好きで、下戸のボクたちは、仕事が終わると、高田馬場の駅前の本屋の入っているビルの地下の喫茶店で、コーヒーを飲んだ。
そして、本の話や、映画の話をした。

勤めて、4年目に入ったころ、ボクは、志していた映画の道を進もうと、勤めを辞めることにした。
今になって思うと、随分と無謀なことをしたものだ。
何のあてもないのに、フランスに渡ったのだから。

同じころ、Mさんも、別の生きる道を見つけていた。
喫茶店を開くことだった。
Mさんは、仕事を終えると、青山だか、渋谷だかの喫茶店に行って、開業のための修業をしていた。

今では、あまり見かけなくなったが、その頃よく見た看板。
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板。
店の売りは、深い焙煎のドリップコーヒーと、シフォンケーキだった。
店は、白壁で、太い梁が、何本も通っている、山小屋とも少し違う、シャレたもので、大体、クラシックが流れていた。
客は、女性がほとんどで、値段は、高めに設定してある。
それでも、そのての店は、結構繁盛していて、あちこちに、
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板が出ていた。
系列店と言うことではないみたいだが、とにかく、沢山あった。

Mさんが、町田に店を開いたのは、ボクがフランスから帰って間もなくの事だったと思う。記憶違いで、Mさんの方が辞めるのははやかったのかも知れない。
いずれにしても、ほぼ、同時期にボクたちは、別の道を歩き始めた。

一度、ボクは、町田のMさんの開いた店に行ったことがある。
まだ、店を始めて、間もないころだった。
Mさんは、確か妹さんとその店をやっていた。
お決まりの、深入り焙煎のドリップコーヒーとシフォンケーキ。シフォンケーキには、ホイップされた生クリームがたっぷりのっている。
ボクは、コーヒー職人と化したMさんを少しだけ、羨ましく思った。
何しろ、ボクは、その頃、仕事にこそありついてはいたが、映画の道は、何一つ拓けてはいなかったからだ。

Mさんの店に行ったのは、その時、一度きりだった。
場所が、町田と言うこともあった。
気軽にコーヒーを飲みに行くのには、少し、遠い。
それだけではなく、ボクにも、意地みたいなものがあり、次に行くときは、ボクが映画の世界に身を置いた時だと決めていた。

しかし、それは、一向に訪れる気配は、なかった。
あれから、35年が経つ。
Mさんは、今、どうしてるんだろう。
気になったボクは、食べログとかで調べて、グーグルの地図で、検索してみた。
町田は、昔とは、大部様子が変わっていて、確かにここだと言うところにはいきつかなかったが、それらしき店を見つけた。
「近々、行ってみよう」
と、心の中では思っているが、なかなか実行に移せない。
実に歯がゆいのだが、Mさんのことを思うのが、真夜中で、ひとりきりの時間に、冷めたコーヒーを飲んでいる時なのだから、仕方がない。

ボクは、一日、一杯と言うコーヒーの制限がある。
良く判らないが、カリウムの問題らしい。
それでも、一日三杯は、コーヒーを飲んでいる。
朝のコーヒー。
昼のコーヒー。
そして、呑んだ後のコーヒー。
いつか、そのうちの一杯を、Mさんの淹れたコーヒーで、飲んでみたい。

喫茶店を出すのが、夢だったことがある。
店の名前は、「バルザック」と決めていた。
本で埋め尽くされた喫茶店。
そこで、探究者のようにコーヒーを淹れるのだ。
Mさんのように。

「きっと、逢いに行くからね、Mさん!」
そう呟いて、今日は、眠ろうと思う。
ボクのコーヒータイムは、Mさんの面影を追う旅でもある。

2016年12月9日金曜日

「冷え物」について、

多分、今では名前も知らない人が沢山いるだろう、小田実氏。
かつては、ベ平連を指揮し、政治的な人としてのレッテルを張られた人だったが、ボクと小田氏との出会いは、(勿論直接お会いしたわけではない)世界貧乏旅行記「何でも見てやろう」だった。
20代前半の頃で、難しい文章は、ボクにとっては、読みにくかったが、世界の広さに圧倒され、バイブルのように持ち歩いたのを、覚えている。
そんな小田氏と再会したのは、かれこれ、40年ぶり。
それも、聞いたこともない、「冷え物」と言う、小説だった。

「冷え物」は、同和問題に焦点を当てた小説だと言われている。
言われているだけでなく、小田氏自身も、はっまりとそう書いている。
しかし、ボクには、そうは読めなかったし、そう読むべきではないと思った。


それには、わけがある。
先月、佐賀県鹿島市で行われた、同和問題の講演依頼が舞い込んできて、
「同和の事は、良く知りませんが、人権については、少しは話せるかもしれません」
と、メールを打ち、
ボクの映画「日本の悲劇」の上映をしていただければとの条件付きで、講演依頼を受けたからだ。

同和問題に興味はあったものの、同和に関しては、そんなに話も持ち合わせていなかったので、あまり踏み込んだ話は出来ない。
映画と関連させての、「人権」の話だったら、言えるかなと思い受けた。

しかし、空港に着くなり、役所の担当者が迎えに来ていて、各地で、いまだに「同和問題」が、なくなってはいないことを知り、
ついては、少しだけでも結構ですから、同和問題に触れていただきたい。同和問題の講演ですからと釘を刺されてしまった。
また、えらいことを引き受けてしまったなと、思った。

この国だけではなく、「差別」の問題は、各国にあるんだと思う。
差別する側と差別される側。それだけの問題ではなく、差別された側も、また、差別する側に回っている現実。
それは、ボク自身にも、ある。

ボクの国籍は、日本人と言うことになっているが、遡れば、どこから先祖が来たのかはわからない。
埃をかぶった過去帳を見ても、何がなにやらわからない。
そんな日本人が、ボクだ。
かつて、「ルーツ」と言う自伝的小説があっったが、あのように明快でないのが、ボクだ。

そんな自分自身のルーツが判らない中で、人を差別するのは、自分で自分を断罪するようなものだと思っている。
しかし、ボクは、そんなに正しい人間ではない。
意識としての差別は、ボク自身の中にあったし、今でも、あるのかも知れない。

「同和問題」は、すなはち、自分自身の問題なのだと思うのは、今、この歳になってのことだし、少なくとも、20代の頃は、人を平気で、差別していたのではないかと思う。しかし、人を差別すると言うことは、自分もまた、差別されることだと思い知った。

最初に、そのことを感じたのは、20代後半に、フランスに行った時だ。
田舎町をふらついていて、空腹に、ホテルで食べられるようなものを探しに、小さなスーパーマーケットに入った時のことだ。
身ぎれいな老婆がボクを見て、蔑んだような目で見て、汚い言葉を浴びせてきた。

それまでボクは、人から差別されるなんて、考えてもいなかった。
しかし、日本人であるがために、差別されると言うことの現実を目の当たりにした。
それは、いままでのすべての価値観を変えてしまうほどの衝撃だった。

正直、辛かった。
多分、その老婆は、大戦で親族を亡くしたのかも知れない。
敵国のひとつが日本で、その恨みで吐いた言葉なのかも知れない。
「ボクが、起こした戦争ではないだろう」
とその時は、そう思ったが、自分が日本人である限り、それだけでは済まないこともわかった。

以来ボクには、日本人であることの誇りと同時に、負い目もある。
存在することの、肯定と否定。
それは、もともとコムプレックスの塊だったボクを、一層、神経質なものにさせた。
カフェに入って、コーヒーを飲んでる時も、誰かがボクの方を見て笑っているだけで、卑屈にうつむいた。
通り過ぎた人から、すれ違い様に罵声を浴びせられたこともある。

そんな色々なことを、帰国したボクは、すっかり忘れていた。
それが、たった一度の講演依頼を受けたがために、蘇ってきた。

講演のことは、このぐらいにしておこう。
とりたてて、自慢するほどのことでもない。ボクとしては、「日本の悲劇」が、沢山の人に観てもらえただけで、満足だ。反応も、悪くはなかった。

帰ってからのことだ。
ボクの中では、「同和問題」と言う言葉が、頭から離れずにいた。
「冷え物」と出会ったのは、そんなときだった。

凄まじいばかりの筆力で書かれたその本が、ボクを虜にした。
読み続けたくない本だが、読まずにいられない力があった。

いずれにしても、本や映画は、出会いだ。
「冷え物」を読んで、何かが芽生えたわけではないが、最近では、ほとんど出会うことのない、不完全な人間たちの葛藤が、展開されている。
そこに、息遣いのようなものを感じ、いまだに、記憶に残っていると、言うわけだ。

今では、恐らく、キンドルでしか読めない本だろう。
「冷え物」と出会うために、電子ブックに手を染める。
それがいい決断だったことを、願いたい、







2017年の事、そして、18年に向けて、

一昨年に撮影、完成した「海辺のリア」の公開が、6月となり、(これは、完成する前から決まっていたのですが)それまでは、新作のことも考えずに、ただ漫然と公開を待つ日々を送っていました。 映画が完成してしまい、初号試写が終わってしまうと、奇妙な空気が漂い始めます。 何かを始めように...