2016年11月2日水曜日

新作 現場報告

去年の収穫が、ルメートル作品と同じか、それ以上に、T・R・スミスの作品だったので、今年は、この両者の新作を心待ちにし、他の作品には目もくれなかった。
なのに、なかなかな、新刊本が出ない。
たまたま今年の前半は、去年から作っていた脚本が、ようやく完成し、動きだし、もう少しのところで、映画にすることが出来ると言う状況だったので、何やら、心中騒がしく、おまけに、週に三度のクリニック通いはボクを十分凹ませてくれる。

んなものだから、上記の作家の新刊を待つことすらも忘れてしまっていた。
気が付いたら映画づくりの方が、メインになっていった。
いつもそうだが、読みたい、観たいと思っている時に限って、映画の制作が始まる。

ものづくりは、第一印象が大事で、あれもあるこれもあるじゃ、なかなか決まらないし、鮮度も落ちて、飽きがくる。
それに今回は、シナリオの通り撮ると決めたので、余程のことがない限り、直さないようにした。
結果的には、何度か直したが、決定稿まで。
印刷した台本には、手を入れていない。
だから、やるべきことは、スタッフ集めと、ロケ場所を決めることが、ほとんど。
だから、本を読む時間は、充分に取れた。
読む気になりさえすればだけど。

以前、テレビのシナリオを書いていたころ、スタジオを見学させていただいたことが、ある。
その時のディレクターは、サブ(副調整室)で、階下のスタジオでの役者の芝居をみながら、暇があると、ミステリーの文庫をひろげていた。
「本番!」
の声を掛けた途端に、文庫本を読んでいる時もあった。
それを後ろから見ながら、ちょっと驚いたことがあったが、ボクには、そんな真似は、出来ない。
なんだか知らないが、準備の一番初めから、その映画のことしか考えられなくなってしまい、他のことは、手に着かない。

映画作りにトラブルは、つきものだと言うが、準備期間にちょっとしたトラブルがあったぐらいで、撮影は、順調に進んだ。
奇跡的なほどだった。

撮影中も、クリニック通いは必要不可欠だったので、ロケ場所の近くにクリニックを見つけて、週に三度、診てくれとの確約を貰った。
クリニックに行く日には、撮影は、遅くとも5時には終わらせなければならないと言う、嫌な条件がついたが、それも、二、三度経験すれば、なんとかなることがわかった。
もしその日行けなかったとしても、直ぐに死んでしまうと言うことはないのだろうけど、行かないわけにはいかない。
だから、毎日、クリニックに行くことを優先して、助監督にもスケジュールを組んでもらっていた。

その日は、無事、撮影が終了して、クリニックに向う。
そして、いざ治療となる。
ところがだ。
治療中のことまでは、考えに入れてなかった。

血圧が異様に高くなってきて、このままでは、処置ができないほどになったのには、驚いた。
看護士さんたちは、血相を変えて、五分おきぐらいに血圧を測りに来るのだが、気持ちが動揺していて、血圧の方はどんどん上がるばかりだ。
200を超えたあたりから、周りが騒がしくなり、
「頭、痛くないですか?」
とか、
「苦しくないですか?」
とか聞いてくる。
おまけにそのクリニックの規定として、血圧が180を超えると、治療を一旦停止しなければならない、きまりがあるらしい。
危険だからだ。
ならば、それで帰れるのかと言うと、そうもいかないらしい。
ある程度、血圧が下がらなければ、動くことも出来ないのだ。
帰るに帰れず、そこで治療を続けることもできないと言う、かなりの苦境に立たされてしまったのだ。

それでも何とか、東京のクリニックに連絡をとってもらったり、処方してもらった降圧剤を飲んで、血圧を180以下に落として、時間中に治療を受けることが出来たのだが、ボクの緊迫感と言うものは、相当なもので、翌日の現場での撮影のこともあるしで、ある覚悟はしていたものの、このまま、眠り続けるか、それとも、治療が終わり帰るときになって、卒倒して意識不明になるかの、瀬戸際にいるようで、次の日のコンテのことなども、曖昧なままにするほかはなかった。

しかし、その曖昧なままにしていたことが、幸をなしたのかもしれないことも、いろいろ起こり、スタッフが、機敏に、ボクにかわって動いてくれたおかげで、作品の撮影はどうにか、終了することが出来た。

もともと、自分一人で、何もかも決めて映画を作ってきたところがある。どんなに小さなことでも、自分がかかわらないと、満足しない。
だから、今回のように、人に任せる映画作りは、したことがなかったのだが、編集が完成したものを見ると、ボクの映画になっているともいえるし、何か中途半端なところで妥協しているようにも見える。

でも、そもそも、中途半端なところで妥協するのは、ボクの持ち味のようなものなので、そのまま引き継ぎ、編集など、仕上げ作業で、その中途半端さを大事にしていければいいと思っている。

「日本の悲劇」のようにせっぱ詰まった緊迫した密室の中で展開される映画ではないので、あるところで、イージーさも大事だ。
オールロケの特色を生かして、その場で思いついたアイデアをどんどん取り入れて撮影したが、編集には、悩まされっぱなしだった。

そんなわけで、撮影は終わったのだが、今度は、仕上げだ。
編集を担当した金子さんが、ボクのことを思ってか、あるいは自分の都合でか、日曜日にしか編集をしくれないので、ボクは、次の一週間に向けて、ああでもない、こうでもないと葛藤を繰り返し、
しまいには、半ば、うなされるようになっていった。
自分で編集をしていれば、そんなこともないのだろうが、ボクは、編集は出来ないし、やりたくないのだ。

現場を終えて、血圧は、まあまあ安定してきたが、今度は編集が、重責になってきて、控えてるカラコレも、何か波乱が起きそうな予感がした。
そればかりじゃない。
バレ物隠しが、沢山あるのだ。
こんなことは、フイルムの時代には、考えられなかったことだけれど、それだけ現場に,シビア―さがなくなったと言うことなんだろう。
いくら役者に長いワンカットを要求して、緊張を強いても、スタッフに、緊張感がなければ話にならない。この辺のことは、次回の課題だが、果たして次回があるのかどうかもわからない。

と、いう訳で、仕上げは、ボクの意図と反して、なかなかな終わらない。
そんな頃に、ルメートルの新作か出たとの情報を得た。
キンドル版で買い、読もうと思っているが、まだ未読。
これをいつ読もうか?
難しい所だが、何かが終了した時がいいだろうと思っている。
となると、映画の完成したころか?
そんなことを考えていたら、ふらりと入った書店で、新たな作家の本と出会った。
その本は、アイスランドの作家のものだが、文学的な表現をもって書かれたミステリー小説で、続けざまに三冊を読破。
今、制作中の映画とは、まったく世界の違うものだが、それが幸を成したのか、数日間は、夢中になって読めて、映画のことから、離れることが出来た。少し、客観的になれたのは、この本のお蔭だ。
今になってようやく、あの時のディレクターの気持ちが、判ったようだった。


さて、いよいよ、仕上げも最終段階に入ろうとしている。
緊張は徐々に高めているつもりだが、いつものように、出来ることしかできないのスタンスは、大事だ。
それと、自分の思う様に映画を完成することだ。
ここまでくると、誰の遠慮も要らなくなる。

決戦と言うと、何か物々しいが、私との決戦だ。
自分自身との。

いろんな発表は来年になるので、ボクの方からは、それ以上のことは言えないが、ちょと今まで、観たことのないような映画になるんじゃないかと思う。
ご期待いただければ幸いだ。


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