2016年1月4日月曜日

新年の抱負のようなもの、

今年は、何もしないで新年を迎えようと思っていた。
何もしないというのは、初詣とか、もろもろ新年にまつわる行事で、別に、何か理由があるわけではなくて、二日から、もう、クリニック通いが始まったので、ボクの場合は、新年も何もないからだ。
新しい年になったからって、特別、何かが変わったわけでもないし、変わるわけでもない。
新しい年になって、今年こそという気持ちは、あるにはあるのだが、まずは、昨年のことを振り返らないと、今年のことは、なんとも、決めようがない。

というわけで、昨年だが、仲代さんの関係の仕事が、舞い込んできて、リーディングの舞台を演出したのと、「果し合い」という藤沢周平さんの原作を脚色したのと、あとは、オリジナルのシナリオを一本書いたぐらいで、あとは、なんとなく過ごしていた。
もう一本ぐらい、ホンを書こうと思っていたが、書けなかった。
年末に、前から考えていた企画のことがあたまをもたげて、若い人に企画書のようなものを書いてもらったが、まだまだの感。
もうひとつ企画があるのだが、こちらは、まだ文字にするわけにはいかない。
もう少し、時間が要る。

そう。
時間が要ることばかりになってきていて、いくら時間があっても足らない。
おまけに、体力がなくなって、すぐに疲れるから、寝てばかりいる。
これでは、何も進まない。

去年ほど、映画を観ない年はなかったんじゃないかというぐらい映画を観なかった。
映画を作るのが、ボクの仕事のはずが、映画を観ないなんてけしからんと怒る人もいるだろうけど、映画を作る人で、ほとんど映画を観ないという人は、意外に多い。
観なくて済むなら観なくたっていいのかも知れないが、一本でも多くと思っている人間にとっては、何だか、変だ。
では、さぞ、つまらない一年だったろうと思うかもしれないが、これが、何とも、不安を掻き立てて、スリルのある、刺激的な一年だったのだ。
たまには、映画から離れてみることも必要だなとか、このままでいいのかとか、思いは錯綜するが、意図して、映画を観ない日をつづけた。

観たい映画があまりなかったというのもある。
ちょっとこれは観ておかないとなと言う映画がない。
意図が、わかる。
観る前からわかる。
そんな映画ばかりで、それは、映画がつまらないのではなくて、宣伝なんかが、月並みで、意表をつくことをしないのが原因でもある。
あとは、タイトルだが、あまり観たいなと思うタイトルに巡り合わない。
似たようなタイトルばかりで、新鮮味がない。
『百円の恋』なんて、いいタイトルだなあと思ったし、内容も、かつてのアメリカB級映画の匂いが立ち込めていて、観たいなとは思ったが、沢山の人が詰めかけてると聞いて、何だか、嫌になった。
お客さんが沢山来れば、それは映画としては成功なんだけど、このテの映画は、話題にもならないからいいのであって、『ロッキー』と『ロンゲスト・ヤード』の違いみたいなもんで、作り手は、『ロッキー』を狙うんだろうが、『ロンゲスト・ヤード』のほうを期待してしまう。
今の、この時代だから。浮かばれない映画にシンパシイを感じる。
だから、そのうち観ようとは思っているが、まだ観てない。

最近思うが、ボクのシンパシイの感じ方と、一般のお客さんのシンパシイの感じ方の違いというのは、完全にかい離しているようで、こんなことを書くと、来る仕事も来なくなるので、書かないほうがいいのだけれども、地味が、美徳の時代は、終わったのかも知れないとも思う。
地味が、売れない、当たらないは、当たり前だが、だからと言って、作られないというのは、ちょっと変だ。
作り手に、そういう人がいなくなってしまった。バカがいない。
そんな風にも思うのだ。

作り手も役者も、みんな自信を持っていて、迷いがない。
どうして、こんなに堂々と作れるんだろうかと、つい思ってしまう。
タイトルからして、自信満々が伺える。
そういうのは、ハナから観ない。
もちろん、映画は決めていくものだし、決めなきゃ、映画は永遠に作ることができないのだが、その前に当然あるはずの、長い迷いの時期が、ない。
だから、薄っぺらで、話だけで、映画が終始する。
それをまた、良しとする輩が多いから困ったことになる。

霞を食って生きてるわけじゃないし、養わせなきゃならない家族もある。
迷ってばかりいて、ああだこうだと御託を並べても、飯がテーブルに並ぶわけじゃない。
稼がなきゃいけないから、稼げる映画を作ろうとする。
それは、別にいいし、ボクも、嫌いではないが、ちょっと待てよ、というのが欲しい。
そのちょっと待てよがないと、まずいのだ。
わからないかも知れないが、わかる人もいるはずだ。
ちょっと待てよ。
この感覚だ。
米櫃が空になるまで待てるかという感覚。
空になっても、待てるかという感覚。
ハナから、米櫃の心配などしていないのもいるが、そんなのは論外なのだが、やはり、ギリギリがいい。
ギリギリでの、選択がいい。

そんなわけで、今年は、ギリギリだ。
ギリギリでも、迷ってやろうと思う。
ま、抱負といえば、これぐらいか?

毎年、一本の映画を作る。
それが、ボクの長年の決意だった。
それが長編を、四年も作っていない。
そろそろだが、そんなに簡単には、腰を上げない。
第一、体力がなくなって、なかなか腰が上がらない。
もったいぶってるわけじゃない。
迷ってるのだ。
迷い続けているのだ。
楽しんでるわけじゃない。もがき苦しんでいる。
でも、まだ迷う。
ギリギリまで、迷いたい。
でないと、自分で、自分が許せない。そんな気がする。

2016/01/04








0 件のコメント:

コメントを投稿

2017年の事、そして、18年に向けて、

一昨年に撮影、完成した「海辺のリア」の公開が、6月となり、(これは、完成する前から決まっていたのですが)それまでは、新作のことも考えずに、ただ漫然と公開を待つ日々を送っていました。 映画が完成してしまい、初号試写が終わってしまうと、奇妙な空気が漂い始めます。 何かを始めように...