2015年8月18日火曜日

極北の怪異を観て、


エスキモーは生肉を食べる人との意もあることから、人びとの意のイヌイットとその呼び名が変わった。
生活も白人がもたらした、酒が原因で、狩猟を放棄する人たが増え、変わったようだが、「極北の怪異」の中のエスキモーはずっとエスキモーのままだ。
映画なんだから、変わるわけがないが、それが、とても、貴重に思えてくる。

1922年作品。
感度の低いフイルムで撮影されたこの映画を観て、かつて、冒険家を夢見た人はたくさんいたことだろう。
植村直己さんも、そのひとりかもしれない。

鮭を捕まえ頭を齧って殺すのにも驚いたが、凍り、雪に覆われた海上で、アザラシの呼吸する小さな穴を見つけ、そこで、じっと待ち、20分に一度ぐらい息しにくるアザラシを銛で突き引き上げる。
その場で解体して脂身から食べる。
これにも、驚いた。

雪の塊を切り、積み重ねて、すみかを作る。
小一時間で、完成し、そのすみかで、火をおこし、毛皮にくるまり雑魚寝する。
天井の雪が溶けないように、室温は、氷点下に保つ。
それでもその家族は、上半身裸で、毛皮を被って寝る。
古い古いドキュメンタリーだがそこには、あるエスキモーの一家を見つめる優しい目線がある。

しかし、最も驚いたのが、この映画からドキュメンタリー映画が始まったということだ。
本当にそうなのか?
ちょっと疑わしいところもあるが、そうであってほしいと思わずにはいられない。
ひとつのエスキモーの家族を定点観測することで、エスキモー全体の生活を描く。
特異といえば特異な発想だろう。
それを思いつき、実行に移した、この監督の人を見つめる視線の強度を感じたし、そのやさしさに打たれた。
何せ、22年だ。
93年も前の話なのだ。それなのに、辺境の極寒の地の原住民に目を向け、何年にもわたって、撮影した。
編集を終えると、また、再撮影の繰り返しだったらしい。

デルスウザーラより、はるか昔に、デルスがいたのだ。
黒澤監督より、はるか昔に、同じテーマを扱った人がいたのだ。
久しぶりに、名画を味わった。
それは、人のカメラに向かっての、屈託ない笑いだった。



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