2014年6月28日土曜日

06/28

昨日は、人に会った。
こちらに来て何日か後に、Iさんと会って以来のこと。
最初は、蕎麦屋だった。
引っ越し祝いと言うことらしい。Tさんの取り計らいだった。
メンバーは、ボクを含めて四人。
美味しい蕎麦を食べて、ビール。
それから、Kくんたちと、別の店に行き、ギネスのハーフ。
少し飲みすぎたかなとは思ったが、話が盛り上がったので、まあ良しとした。
ボクは特別、アルコールは禁じられていないので、家でも、ほぼ毎日飲んでるが、たいした量じゃない。
以前と比べたら、呑んでないに等しいぐらいだ。
呑めないわけじゃないけど、水分が気になるのと、酔うことを忘れてしまったようなので、少量だけ。
呑んでの失敗も、沢山してきたので、ほどほどの方がいいのだ。
こんなことは、30台ぐらいで、身に染みて、正すのが当たり前なのだが、ボクの場合は、還暦を過ぎて、やっとだ。
バカは死ななきゃ治らないと言うが、いつまた深酒になって、似たような失敗を繰り返すかわからない。
バカは、死んでも治らないのかも。

Mさんの店が去年閉店した。
もともとそう多くは行ってないのだが、無くなってしまうと、淋しい。
ほぼ同時に、Mさんのブログも、お休みに入った。
たまに見ていたので、それも淋しい。
Mさんは、今年に入って、どこかで、新しい店を始めたそうで、今年の初めぐらいに、案内が来た。
凄く小さな店らしく、会員制のようなもので、事前予約が必要らしい。
一度、行ってみたいと思うのだが、未だに行けてない。

Mさんとは、ライター時代に知り合った。
知り合ったと言っても、制作会社で顔を合わせただけで、その後は、連絡を取り合ったりもしていなかったので、知り合いと言うほどのことでもなかったのだろう。
Mさんの店が、乃木坂に移ってから、案内が届いたこともあり、何度か通うようになった。
昔の歌の仲間を集めて、ライブを行ったこともある。

店が乃木坂だったので、テレビ局の人たちと良く顔を合わせた。
ボクは、テレビから、映画の世界に行ったので、昔の知り合いと会うと、何だか、後ろめたい気持ちになる。
それほど、たいした仕事はしてないし、ボクを必要としてくれた人もいなかったので、自分一人で、「テレビを捨てた」と思っているだけなのだが、後ろめたいことに変わりはない。
久し振りにあった人に、嫌味を言われて、その時は、笑って答えたが、良い気持ちはしない。
以来、その店にも足が遠のくようになっていった。

Mさんの店が閉店し、何か月かした後、また店を開いたようで、大阪のボクの住居に案内が来た。
今度は、予約制で、客席は、5つとか6つしかないと言う。
知り合い以外はお断りとも書かれていた。
それでやっていけるかどうかはともかく、随分と思い切ったことをしたなと思った。
Mさんはボクより、何歳か年上だったから、そうは、思い切ったことも出来なかったに違いない。それであっても、知り合い以外の客を拒むなんて、ちょっと驚きだ。
会員制のバーみたいなもんだろうが、初めからあてることを考えないで、店を始めると言うのは、昨今の流行りのようにもなっているし、ひょっとして、予約が絶えないのかもしれない。

映画作りも同様なところがある。
大手メジャー会社が、マンガの原作などのベストセラーを映画化して、何十億もの金を稼ぐ。その一方で、若い人たちが、持っているわずかな金で、映画を作り、公開する。
彼らは、興行で、稼ごうなんてこれっぽっちも考えていないのかも知れない。
沢山の人に観て欲しいとは言いながら、大体結果は、宣伝費が回収できればいい方で、それ以上にはいかないようだ。
とは言え、好きな映画を好きなように作れるようにはなった。
海外の映画祭にも出品しているようで、目的は果たせたのかもしれない。
そうして、何年かして、また、映画を作る。
生業として考えていないから出来ることなのだが、映画作りを生業として考え、いままでどうにかやってきたボクには、何か、物足りないと言うか、腑に落ちないところもある。一方で、羨ましさも感じる。
いや、羨ましさの方が勝っている。

映画の評論家がどんなに褒めても、受け付けない映画と言うものがある。
ボクの映画も、そのクチだが、そもそも、評論家と名乗る人たちの映画を見る目自体が、妖しいので、あまり気にはしていない。
いつか、評価されるだろうぐらいにしか思わないことにしている。
そういう点から言うと、ボクも、今の若い人たちと同じで、食べて行くと言う事さえ考えなければ、自分の好きな映画を好きなように作ることが出来るし、ある面で、そうしてきたのかもしれない。

来年の計画を練っていて、ひとつも空欄が埋まらないのに、少し、焦った。
焦ってはみたが、どうにもならないので、しばらくは、何か思いつくまで、待つことにした。
待って、どうにかなるものでもないのだが、いつものように、衝動に突き動かされるのを期待するしかない。

Mさんの店は、飲み放題で、5000円ぽっきりだと言う。
往復タクシーを使ったとして、1万円。
では、一万円札を握りしめて、衝動のきっかけでも作りに、一度、訪ねてみようか?
ああ、その前に、予約をしなくちゃならないんだった。

2014年6月27日金曜日

06/27

これと言って、何の変哲もない毎日を送っています。
変哲もないと言うのは、変哲もないと言うことで、ありふれていてつまらないと言うことなんだけど、では、毎日がありふれていてつまらないのかと言うと、なんだかんだで、バタバタしていて、つまらないことはつまらないのだけれども、知らないうちに一日が終わっていて、退屈と言うことでもないようです。
こちらに来てから、読書にも映画にもほとんど興味がわかず、見てもいないし読んでもいないのだけれども、テレビで何本かは観たりしているし、書棚の本を取り出して、拾い読みなんかはしている。
逃れられないと言うのか、まったく何にもなしの生活と言うのは、ボクの場合は、無理なようです。
昨日は、夕方から「映画でも観ようか」と言うことになり、あれこれ探したんだけど、これと言うのが見つからないで、ずるずると時間ばかり経ってしまい、側で奥さんが、『ノーバディーズフール』と言うもんだから、しばし考えた挙句、ちょっと今更の感じがしたけれども、『ノーバディーズフール』を見ることにした。

観始めてから、ほんの何分かで、奥さんはいなくなってしまい、結局ボクひとりで観ることになった。
途中でやめることもできないことはなかったけれども、長い間、見てなかった映画なので、話の筋も忘れていて、それもあって観ていた。
この映画が大好きだった時期は、随分と長い。
30代から40代の10年ぐらいの間、頭の中に、この映画がなかったことがないぐらい。
あんな映画が作りたいと思ったが、あんな映画、作れるわけがないと思った。ボクには、『タイタニック』や『ターミネーター』を作るぐらいか、それ以上に困難なことだし、真似てみても、及ばないのは、最初からわかり切っていたようだ。
それでも、映画を作るようになって、ふと思い立って、似せたシーンを作ってみたりもした。うまくいかないのはわかっていたんだけど、やらないわけにはいかなかった。ボクの原点だからだろう。

ベントンには、『クレーマークレーマー』と言うヒット作があるが、あれも大好きだが、それよりも、『プレイスインザハート』が好きだし、『ノーバディーズフール』が好きだ。去年だったか、ロッテルダム映画祭に行ったとき、ハワードショアが来ると言うのを知って、『ノーバディーズ~』のサントラCDをもって、サインをしてもらったけれども、あの映画の音楽は、本当に素晴らしい。その素晴らしさは、『マグノリアの花たち』の音楽に匹敵する。共に、どこかトリュフォーを思わせるからだろうが…。

トリュフォーと言えば、ベントンがトリュフォーの影響下にあるのは、わかりきったことだが、今回観ていて、セーターをたくし上げて、おっぱいを見せるメラニーグリフィスなんかは、トリュフォー映画そのもので、ベントンが、照れながら演出をしているのがわかって微笑ましい。
映画はあたかも年老いたドワネルがそこにいるかのように、静かに、端正さを保ち、かつ個人的に展開していき、幸せな寝顔で終わる。
その寝顔を観た時、『春との旅』のラストの仲代さんの寝顔を思い出したのは、ボクだけのはずだ。こんなところにも、この映画の影響があったのかと、ちょっと慌てるほどだった。

仲代さんで、もう一本と思っていたところだったので、この偶然には、今でも、何かの巡り会わせのように感じている。
「そうか、忠男は、死んだわけではないんだな。あそこで、眠ってしまっただけなんだな!」
と思った次の瞬間、『ノーバディーズ~』の主人公は、玄関前のソファーで、葉巻をくわえたまま、眠ってしまったのではなくて、そのまま、死んでしまったのかも知れないとも思い、いずれにしても、幸せな死であり、人生だったのだなと感じないではいられない。

少し少しだけれども、前に向って歩いているようにも感じるし、停滞したままとも感じる。
『日本の悲劇』があまりに思いつめた映画だったので、今度は…と言う気持ちもあるが、今度なんて、本当にあるのかと他人事のようにも思う。

遠く、北海道の雪景色を思っていたら、苫小牧の新聞から、勇払と北上荘のことについての、コメントを求められた。
そちらの方の言葉を考えていたら、知らないうちに、時間がどんどん経っていた。忘れかけていた人たちの顔が次々に浮かんでは消えて行った。

『フリック』や『愛の予感』を作った頃の事を思いだしながら、この文章を書いているのだが、勇払だけに限らず、鳴子温泉にも雪はあるし、ボクのノーバティーズフール(一徹者・頑固者の意らしい)は、まずは、馴染みの風景を思い描きながら、馴染みの登場人物を配して、机の上で、展開されていくのだろう。

2017年の事、そして、18年に向けて、

一昨年に撮影、完成した「海辺のリア」の公開が、6月となり、(これは、完成する前から決まっていたのですが)それまでは、新作のことも考えずに、ただ漫然と公開を待つ日々を送っていました。 映画が完成してしまい、初号試写が終わってしまうと、奇妙な空気が漂い始めます。 何かを始めように...