2013年6月29日土曜日

『日本の悲劇』について、池島ゆたかさんが書いてくれました!

『日本の悲劇』番場早苗さんから、

この社会の生き難さ ー 映画『日本の悲劇』

 
 
映画『日本の悲劇』(小林政広監督作2012)を観た。
身につまされた。
泣いた。
いろいろ考えさせられた。
宣伝惹句に「これは、私たち家族の物語。」とあるが、まさしく、わたしの、あなたの、家族の物語だ。
ある一家を襲う失職、病、離婚、死、震災。そして貧困、年金。この国が抱える問題の数々が、ひとつの家の中にのこらず在った。
シーンが変わるたび暗転があり、舞台のように闇の時間がある。

◆四つの椅子
食卓に椅子は四つ。かつては全部に坐る人がいた。
坐る椅子が決まっていた。その椅子がひとつずつ空いていく。

◆ひと月6万円
「いち日1500円の生活費でひと月45000円、水道・光熱費いれて6万円」と息子が父に言う場面がある。
むかし民法のゼミ仲間が話していたことを思いだす。
彼女は年金問題をテーマに調べていた時、役所の人に「国民年金、月6万円で生活できますか」と尋ねたところ、「独りだとそうですが夫婦だと12万です。それでなんとか生活できるでしょう」と応えたのだそうだ。
「夫婦が前提っておかしくない? 独りで暮らす者のことは考えないわけ?」と彼女は憤慨していたが、このことだけでも、この国の年金制度や社会政策のお粗末さが窺い知れる。
高級官僚や一流企業に勤めていた者は、退職後も高額の共済・厚生年金で悠々自適の生活を送れるが、自営業や非正規雇用だった者は、持ち家でもなければ生きてゆけない金額だ。格差社会は死ぬまで続く。

◆俳優が素晴らしい 脚本が素晴らしい
仲代達矢・北村一輝・大森暁美・寺島しのぶ。出演者が皆、とてもいい。仲代達矢の凄さ(うまさを超えている)は『春との旅』で刻みつけられたが、この作品でも見事だ。
そして、北村一輝がまた、息を呑むほどいいいのだ。嗚咽・慟哭、泣きの演技が、台詞が、作り物じゃなくなっている。「よしお」その人だった。一緒に泣いた。いま思い返しても胸が震える。
きっと、脚本がいいからなんだと思う。
台詞が秀逸で、個々の言葉遣いがキャラクターを際立たせている。
例えば、大森暁美演じる母親の「~もんですか」という表現。
相手の言を「じゃ、ない」と強く否定するのではなく、やんわりたしなめながらも受容している。
それが大森の声や表情と相まって、この母親の性質や長年の夫との日々がよく伝わってくる。
いい脚本を、いい俳優が演じると、それはいいものができるのだなと、あたりまえすぎる感想だが。

◆これは「日本の悲劇」ではあるけれど絶望の物語ではない
映画のラストは光が見える。息子が父を棄てたのではないことが伝わる。父の愛に応えて明日へ踏み出そうとしている。
エンディングに響く電話のベルは、この物語の行方をさまざま想像させる。
あれは役所からの父の生存確認?
あるいは、別れた妻から?

観終わって、監督のメッセージを受けとったと思った。
死にゆく父親の回想シーンの、ある場面だけ色彩豊かだったことの意味が解る。
そうなのだ、そこだけカラーだったのは、息子夫婦が生まれたばかりの子どもを連れてきた日。
小さい命、新しい人、に贈られた明るい光。

この映画に描かれているのは「日本の悲劇」ではあるけれど、けっして絶望の物語ではない。
「遺書を書くようなつもりで脚本を書いた」という監督の切なる願い。ささやかでも、愛と光に包まれた幸福な生を。
それこそ、仲代達矢演じる父が息子を想ってしたことのように・・・

◆正しいことなんてなにもないんだ まちがっていることなんてなにもないんだ
この映画の脚本は実際に起きた年金不正受給事件に衝撃を受けた監督自身によって書かれたものだが、事件そのものとは違う設定とストーリーだ。フィクション化することで、個人の事件から離れ、問題の本質へ迫って普遍性を獲得している。
小林監督は、報道される事件を一面だけで捉えていないのだと思う。事実はひとつでも、真実はひとつではない、それぞれの真実があると知っている。
それは、やはり実際の事件に想を得て創った『バッシング』を観ても感じたことだ。
小林監督は断罪しない。正・否や善・悪という上から下すジャッジではなく、低いところからの人の苦しみ悲しみへのまなざし。それは、小林政広の出発から変わらない視点であり位置なのだ。
小林政広の監督第1作は「CLOSING TIME」だが、表現者としての出発は林ヒロシ名義で出したCD『とりわけ10月の風が』だ。彼の出発はここにあるとわたしは思っている。つまり「処女作には、その作家の全てがある」という文脈で。もちろん、人は変わるものだ。小林政広が30年以上も前のままであるはずはない。でも、そのコアな部分、彼を表現へと向かわせるものは変わっていないと思うのだ。

正しいことなんてなにもないんだ   そして
まちがっていることなんてなにもないんだ

作詞・作曲した「スイング・ジャズ」のなかで、彼は唄っている。この少年詩人には、すでに『バッシング』や『日本の悲劇』を撮る萌芽があったのだと思う。

◆映画『日本の悲劇』は、この社会を声高に告発する映画ではない。人間を、その弱さや愚かさをも含めて肯定し、死者を悼み、死にゆく者を慰藉し、生きていく者を愛おしむ映画だ。しかし、それだからこそなお、この時代この社会の生き難さを静かに訴えかけてくる。多くの人に観てほしい。
「日本の悲劇」
 
 
 
 
 
このブログは、番場早苗さんのトンボロ通信より、本人からの了解を得て、転載させていただきました。
番場さんの素晴らしいブログは、こちらから、
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

『日本の悲劇』FBからの転載です、

自作だから言いにくいですが、録音の福田伸さんの渾身の作です! 国内に録音賞があるならばぜひ、彼に!!  RT @hknyemi: 『日本の悲劇』小林印の長廻しが印象的なのだけど、フレーム外で起こっている出来事を音だけで表現しているシーンが多く。もうこの音がすごい。
  • 福間 恵子さん、三上 昇さん、澤田 サンダーさん、他11人が「いいね!」と言っています。
  • 松島 富士雄 あの臨場感は匠の技なんですね。映画館でまた体験してきます。
  • コバヤシ マサヒロ よろしくお願いします!
  • 髙間 賢治 激しく同感します!しかし、監督は撮影時に、その確証があったのですか?
  • コバヤシ マサヒロ はい。録音の福田さんとは、何度も打ち合わせをし、図面を見ながら、カメラポジションも、ある程度決めました。あらかじめ福田さんには、後で効果として入れるのはやめて欲しいと言いました。サラウンドで、人物の動きを、マイクで、拾うのは、通常は、しないのですが、福田さんも、今までやった事のないものでしたが、同意してくれました。北村にも、今回は、声の出演だと言って、それでも良ければ出て欲しいと告げました。画に映ってない北村や仲代さんの動きも、全て現場で録りました。真ん中から、左に動き、更に、右に去り、庭に出て、洗濯を干すなどの動きも、10個ほどの置きマイクで、各部分を録りました。電話の音も、左から、タイミングをみて出しました。アメリカの夜で、スタジオにレコードをかけ、音楽を流しながら本番を撮るシーンがありますが、あれを、音楽ではなく、音で、やってみたかったんです。しかも、サラウンドで! 福田さんが、乗ってやってくれたから出来ましたが、撮影部が、フィックスに耐えてくれたのも、大きい貢献です。撮影部としては、当然のごとく、カメラを振るのは、修正みたいなものですから! 録音部以外のパートは、さながら、我慢大会のようでした!(笑)
  • コバヤシ マサヒロ 修正ではなくて、習性でした!

2013年6月28日金曜日

『日本の悲劇に寄せて、『風切羽』の小澤監督が、FBに書いてくれた文を転載します、

『風切羽』の小澤雅人監督から、『日本の悲劇』について、こんな文を書いてくれました。
小澤監督、ありがとう!











昨日、試写で小林政広監督作品「日本の悲劇」を拝見しました。
試写会場は超満員で熱気ムンムン。
エレベーター降りたらロビーが満員電車状態。皆さん殺気立って良い席を取ろうと足早に会場に駆け込む。
そんな光景や、YouTube予告編の記録的な再生回数を見てもその期待の高さが伝わってくる。(再生回数19万回!!)
最後列からスクリーンを見据える。
冒頭からしびれる長回しが続き、徐々に仲代達矢さんと北村一輝さんのミニマルな世界に引き込まれ圧倒される。
あんな北村一輝さんは見たことない。
TVCMの北村一輝さんからは想像もつかないほど弱く愚かで、みっともない。
嗚咽を吐きながら、一向に姿を見せない父、仲代達矢さんに懇願する。
満員の客席からスクリーンに注がれる眼差しは一刻も途切れることなく、あっという間に100分が終わってしまった。
それだけスクリーンに釘付けになっていたということに終わって気付く。
ミヒャエル・ハネケの「愛、アムール」を思い起こさせる密室劇。
ハネケと違うのは、扉一枚挟んでそこに物理的な接触がないこと。
その「関係の不在」の中に、日本の悲劇を見た気がする。
今この時代に必要とされ、そしてそれを見事に受け止めてくれる映画。
これを観ずして13年の映画は語れないと思う。
個人的には、終わり方が大好き。
鳴り響く電話が意味するものを、あれからずっと考えている。







「日本の悲劇」は8/31公開。

『日本の悲劇』前売りについて、

『日本の悲劇』の前売り券は、初日でも、使用出来ますので、初日にご覧になりたいお客さまも、安心してお買い求めいただけます。
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『日本の悲劇』6/26のこと、

昨日はあいにくの雨で、『日本の悲劇』のマスコミ試写、きっと少ないだろうなと。
今まで、二回の試写では満席だったけど、それが、ピークだったかと、落胆した気持ちで、試写室まで行ったのだけど、何だか様子がおかしい。
エレベーターから降りたら、人だらけ。
前の試写を観に来たN嬢とばったり。
「すごいことになってますよ!」
と言う。
中に入ったら、もっと人だらけ!
早くも、席は埋まってしまい、外では宣伝スタッフが、補助席を出しながら、お客さんを誘導してる。
試写室の人が、出て来て、
「これ以上は無理だ。ただでさえ、避難口が、補助席で埋まってる。もう入れないでくれ!」
と、宣伝の人に、内緒話。
それでも、まだ、お客さんが、受け付けに来る。
何とか、前の床にすわってもらっても、観てもらえないかとボク。

何人かは、それで入って貰ったのだが、ついに、宣伝の人の判断で、お帰りいただくことになってしまった。
こんな事になるなんて、考えてもいなかった。
もちろん、嬉しい。

こんなに沢山の人に観てもらえるなんて、思ってもいなかったからだが、この先のことを考えると空恐ろしい。
『日本の悲劇』の公開は、8/31から。
まだ、二ヶ月もある。
みなさんの応援だけが頼りです。
どうか、よろしくお願いします!

2013年6月18日火曜日

SNSの皆さんへ、

『日本の悲劇』のヤフーの映像トピックスのアクセス数が、48万を超え、シネマトゥデイーで、初公開された予告篇が、17万を超えていると言う。
ちょっと、信じられない数字で、何が何だかわからないのだけれども、沢山の人たちに、この映画の存在が、知られるようになったのは、とても嬉しいことです。
テレビの視聴率は、1パーセント100万人に換算しているようで、それから考えれば、微々たるものなのかもしれないですが、自主映画であり、あるかないかの宣伝費で、細々とやっている我々としては、負けるとわかっていながらの戦いであったのに、ほんのわずかに救いが、もたらされ、希望のかけらが、見えてきました。
しかし、まだ、かけらに過ぎないと思っています。
そんなに興行は、甘いものではないと思っています。
散々、辛い目にもあってきましたしね。
でも、配給宣伝のスタッフの人たちの意気が上がったのは、確かなことです。
これもひとえに、数年前から、この映画に注目して、励まし、応援してくれたSNSの仲間たち皆さんのお蔭です。
本当に、ありがとうございます。

公開まで、2か月半近くあります。
これからも、どうか変わらぬ応援を、よろしくお願いします。







2013/6/18                                    小林 政広




ヤフー映像トピックス
http://videotopics.yahoo.co.jp/videolist/official/movie/p38c14e0a872e6feba84026f9e4bc210c



2013年6月17日月曜日

『風切羽』に寄せて、


『風切羽』に寄せて、

 

 

 

小澤雅人監督と初めて会ったのは、全州映画祭のオープニングパーティーでだった。

スーツ姿の小澤監督を、旧知の女性から紹介されたのだ。

以前は、どの映画祭に行っても、日本人の監督は僕一人だったが、最近では、どこの映画祭に行っても、若い日本人の監督たちで溢れている。

正直、彼らと話すのは、疲れる。

若い創造することの熱気に圧倒されるからではない。それなら大歓迎なのだが、むき出しの自我と自信満々の立ち居振る舞いに辟易するのだ。

監督にはそういう面がなくては務まらないのだろうが、それを臆面もなく見せつけられると、頭を抱えてしまう。

だから、小澤監督と会った時も、ロクに話はしなかったと思う。

彼を紹介した知人の女性とも立ち話程度だった。

それから数日後、小澤監督の『風切羽』を観た。

『風切羽』は、その年の全州映画祭コンペティション部門で唯一の日本映画だった。

ボクは、前の年に、全州映画祭で、コンペティションの審査員をした。その時、掛かった唯一の日本映画『ももいろそらを』(小林啓一監督)と比較するためだった。

『ももいろそらを』をボクは、審査の席で、推したのだが、援護射撃は一切なく、選に漏れてしまった。しかし、その世界観は、高く評価されるべきものだと今でも思っている。『風切羽』がそれと比較してどうか? と言うのに、ボクは興味を持っていた。他のコンペ作品を一切見ないわけだから、そんな比較しかボクには出来なかったのだ。

冒頭からの20分で、ボクは、「これは、自主映画ではないのではないか?」と思った。あまたの自主映画と呼ばれているものとの差は歴然としている。

その完成度の高さは、商業映画のそれと何ら変わりがなかったからだ。技術関係の腕の確かさから来ているのかとも思った。

しかし、それと相反して、描かれているのは、児童虐待である。主役の秋月三佳が、滅法いい。ボクは、映画に引き込まれながら、自問したものだ。「やばいぞ! この監督は、凄い!」と!

描いている世界が、ボクと似たものを感じたからだ。こんな思いを抱いたことは滅多になかった。いや、初めてと言った方が良いだろう。

そのハラハラする思いは、映画の中盤まで続いた。

映画の後半から、その緊張感は失われて行き、少年と主人公の逃避行となって行き、ある事件によって、映画は、収束に入る。

「きょう、どこへ向かう?」

「コノヨの果てまで」

予告にも使われている、台詞だ。

アメリカンニューシネマを観て育った世代なら、この台詞の世界観から、映画の終わりは容易に想像できるに違いない。

『イージーライダー』しかり、『明日に向って撃て』しかり、『俺たちの明日はない』しかりだ。この世界観の終わりに来るのは、予期してなかった死。突然の幕切れだ。

しかし、小澤監督は、もちろん、アメリカンニューシネマを観て、育った世代ではない。もっとずっと後の世代だ。DVDで観たことはあっても、封切りの劇場で驚きと、無常観をもって、体験した世代ではない。だから、二人には、予期しなかった死は、訪れるはずもない。不思議なほどに、二人には、死の臭いも感じない。あるのは、何ら、希望のない、明日だけ。物足りないと言えば、物足りない。

巧みさと稚拙さが交互に、ひっきりなしに現われるところなど、新人監督らしい部分もある。

しかし、ボクは、小澤雅人監督を、『風切羽』を高く評価したい。この映画には、怒りがある。静かだが、熱がある。こんな新人監督は、滅多に現われるもんじゃない。恐るべき、子供だ!

 

 

2013/6/15




映画『風切羽』のオフィシャルサイトは、こちら、
 



 

 


 

2013年6月16日日曜日

311のあたりで、

「311のあたり」では、②③と続く予定でしたが、『日本の悲劇』公開時のパンフに、掲載することになりましたので、ここでは掲載できなくなりました。
パンフには、様々な方のレビューや論評などが掲載される他、仲代達矢さんからご寄稿いただいた言葉や、『日本の悲劇』のシナリオも、掲載されます。
映画公開時には、ぜひとも、劇場で、お手に取ってご覧いただき、お買い求めいただければと思います。
よろしくお願いします。

2017年の事、そして、18年に向けて、

一昨年に撮影、完成した「海辺のリア」の公開が、6月となり、(これは、完成する前から決まっていたのですが)それまでは、新作のことも考えずに、ただ漫然と公開を待つ日々を送っていました。 映画が完成してしまい、初号試写が終わってしまうと、奇妙な空気が漂い始めます。 何かを始めように...