2012年12月11日火曜日

インド行き

カレー好きだからと言うわけではありませんが、インドにはずっと行きたいと思っていました。
しかし、不衛生だと言うことと、マラリア蚊が怖くて、自発的に行こうと言う気にはなかなかなれませんでした。
もう何十年も前に、インドに行った友達がいて、彼女はマラリアにかかったらしく、以来、体調を崩していると聞いたことがあり、それからと言うもの、インドは、一度は行ってみたい国であることは変わりないのですが、行くことはないだろうと思っていました。
映画を作るようになって、作品が、良くインドの映画祭に呼ばれたことがありました。
ボクの作るような映画が、どうしてインドの人たちに受け入れられたのか、今でも良くわからないのですが、様々なインドの映画祭から、しかも、新作を発表する度に、呼ばれているところをみると、ひょっとして、意外にも、受け入れられているのかも知れないと思うようになっています。
しかし、それをしかとこの目で確かめる機会はありませんでした。
作品は呼ばれても、ボクの招待は、今までなかったからです。
いくらインドが急成長している国だからと言って、映画祭にそれなりの余裕がなければ、海外からのゲストを呼ぶことは出来ません。
ましてやボクのように、個人レベルで、しこしこ映画を作っている人間は、名前さえ出せば、動員に結びつくと言うこともないわけで、呼ぶ価値もあまり見当たらないと言うことなんでしょう。
結局、行きたいけど、行かずに終わる国なんだろうな。
そう思っていました。
しかし、今回、何と、ボクを招待するとの知らせが来たのです。
いつも出してる映画祭かとおもいきや、そうではなくて、作品を出品するのも初めての映画祭でした。
ネットで調べてみると、その映画祭は、まだ若い映画祭のようで、HPも、全く、簡単なもので、その全容さえ掴むのが難しいほどでした。
このような場合、ボクが行く云々の前に、作品の出品さえ、躊躇するものですが、間に入っている、バングラデッシュのプログラマーは、うむを言わせず、作品を招待する。ついては、コバヤシにも、映画祭に来てほしいと一方的に命令してきたのです。
命令と言うのは、大げさですが、そんな強制的な勢いをも感じたのは、確かなことでした。
初めは、迷った末に、作品の出品は了解したものの、ボクの参加は、見合わせようと言う結論に達しました。
師走も押し迫った頃の開催です。
正直、この時期にひとりで海外に行くのは、気が重かったのです。
しかし、ことはそれでは済みませんでした。
何とか来てほしい!
と、今度は、映画祭側からのオファーが来てしまったのです。
それでもボクは、まだ、あまり気乗りがせず、飛行機での長旅のことを思い、やはり今回は、不参加としようと決めました。
そして、その旨のメールを出したところ、更に、熱烈なメールが届き、主賓として迎えたい! ので、どうしても来てほしいと言うのです!!
ボクは、もう、
「ええ?! ボクが主賓かよう!!」
と、椅子からひっくり返らんばかりの驚きようで、思わず、奥さんに、
「しゅ、主賓だと!!」
と、叫んでしまったのです!

こうしてボクの初インド行きは、決まったのです。
行き先は、バンガロール。
南インドの高地にある街で、インドでは五番目の都市だそうです。
果たして、ボクの初インド行きは、どのような結果になるのか?
19日、出発。
旅立ちの日は、刻一刻と迫ってきています。




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