2010年8月25日水曜日

2010/08/23

どうも最近の子供たちは、

「面倒くさい」

が口癖のようで、何かと言うと、

「あー、面倒くせえなあ」

などと言う。

そう言うときは、

「お前、息してるのも面倒くせえんじゃねーの?」

ときいてみることにしてるんだが、最近、効果あってか、

「面倒くさい」

を言わなくなった。

その代わりにと言っては何なんだけど、ボクの方が、

「面倒くさい」

とこっそり言うようになった。

でも、ボクが言っても、誰も、

「息してるのも面倒くさいんじゃないの?」

とは言わない。

言われたら、

「そうなんだよ! だからひと思いに殺してくれないかな」

と言おうと思っているんだけど、誰も言ってくれないので、未だに言わずじまいだ。

実際、生きてる以上に、

「面倒くさい」

ことなんてありゃしないだろう。

カウリスマキの映画に、『コントラクト・キラー』と言うのがあって、自分を殺して欲しいと殺し屋にお願いするのだが、気が変わって、もっと生きたいと主人公は思うようになり、殺し屋に「殺しの中止」を申し出るのだが、既に、殺し屋は、代行の人間に「仕事」の発注を済ませていて、「殺しの中止」は、キャンセルとなってしまう。

それで主人公は、見えない殺しの代行者から逃げ惑うことになるのだが、最後がどうなったのか、覚えていない。

ボクが以前作った映画に、『殺し』と言うのがあり、シナリオを書くきっかけとなった映画の中に、この『コントラクト・キラー』があるが、内容は全く違っていて、『コントラクト・キラー』の主人公から遺伝子を受け継いだのは、『殺し』の主人公が働いていた以前の会社の上司で、『殺し』では、深水三章さんが演じた役だ。

石橋凌さん演じる主人公は、この男を追い詰めて、殺そうとするのだが、堤防の突端まで逃げた男は、転んでしまい、ついに観念する。

拳銃を手に、男の後頭部に狙い澄ます主人公。

その時、男は、振り返って、主人公の目を見て、ニタリと嗤う。

ボクはこのシーンを撮影していた時、このカットのことは思いつきもしなかったのだが、現場で突然、深水さんが、

「ね、監督。次のシーンなんだけどさ、俺、振り返って、嗤ってもいいかな」

と相談を受けた。

そのシーンの説明をして、リハーサルを終えて、いざ本番に行こうとした矢先のことだった。

そもそも、このシーン自体が、現場で思いついたシーンで、雪の中で、自分の墓穴を掘るというシーンも、確か台本にはなかったかと思う。

なので、ボクは、とにかくそのシーンを、その日のうちに撮り切るのに必死で、深水さんの演じる役の身になることも、なかった。

「嗤うんですか」

と、ボクはとても不愉快な顔をしたように思う。

「駄目? 駄目だったら良いんだけど」

深水さんは、そう答えた。

「でもね、殺される前に、俺は嗤いたいんだよね」

「嗤うのか」

「嗤いたい」

深水さんは、真剣な表情で、ボクを見詰めて言った。

ボクはまだ半信半疑だった。

「何を言ってるんだ」

と心の中では苛立っていた。

カット割りをし直さなくてはならない。

しかも、突風の吹く、苫前の海岸でだ。

日没は間近で、時間もない。

撮影部も照明部も、

「早くしてくれよ。撮り切れないよう」

と、助監督にこぼしている。

体感温度マイナス30度の中で、次に撮るシーンのカット割りが決まらない。

ボクは、土壇場に立たされた。

ボクは、

「五分、時間が欲しい」

と言って、現場を離れ、スタッフの車の中に飛び込んで、台本を広げた。

雪が溶けて、水浸しになった台本は、ページをめくるだけで、破れていく。

赤やら青やらで書いたメモやカット割りも、何度も書き直したので、何が何だか判らなくなっている。

それで、ボクは目を閉じて、次に撮るシーンのカット割りを、順番に思い浮かべていった。

判らない。

もう考えをまとめる体力もない。

おまけに指は寒さでかじかんでいて、鉛筆を持つ手もこわばっている。

五分が経った。

制作部がボクを呼びに来た。

ボクは、断頭台に立つような思いで、現場へと向かった。

いきなり深水さんが、

「どう決まった?」

と、ボクにきいた。

「決まりました」

とボクが言った。

「俺もね、今まで考えてたんだけどさ、やっぱり嗤わない方がいいんじゃないかってね。そう思うようになったんだよ」

で、ボクは、

「いや。嗤いましょう」

と答えた。

咄嗟の返答であり、決定だった。

そして、撮影は、男が振り向き嗤うと言う方向で進んだ。

すべての撮影が終わって、編集作業に入っても、このシーンになると、思い悩んだ。依然として、ボクは、男が嗤うということに、抵抗があったのだ。





なぜ、こんなことを今頃書いているのかと言うと、ボクはあの頃より、ずっと老けたんだなと思ったからだ。

いくら自分の方から依頼した殺しであっても、いざ、殺しの代行人から拳銃を突きつけられて、ボクは嗤うかと自問したら、

「嗤うかも知れない」

と今は思うからだ。

どんな人生を送った人でも、死ぬ寸前には、人生の辻褄は合うものだと言う言葉がある。

それは、きっと、「諦念」ではなく、「納得」なんだろう。

でも、その時のボクは、ただ単に天の邪鬼で、深水さんの言葉の逆をしたに過ぎない。

あの頃のボクには、まだまだ夢と希望があったということだ。

では、今は…??

夢も希望も、ある訳がないのだ。





10月に、札幌蠍座で、ボクの特集上映があります。

『春との旅』を含めた、五本の映画が掛かる予定です。

ラインナップは、

『春との旅』

『殺し』

『女理髪師の恋』

『バッシング』

『幸福』

です。

よろしかったら、ご覧ください。

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