2010年8月31日火曜日

2010/08/26



岐阜の可児市で、映画祭がので、来月行くことになった。それで、前日ぐらいには、名古屋に入って、鳥鍋を食そうと思う。
前にも書いたが、これを食べたのは、今年の初めだったか、去年だったか…?
とにかく美味いのだ。
鳥鍋に限らず、名古屋の食べ物はみんな美味しい。
ボクの好みに会ってるってことなんだけど、味が濃いのが難点で、その辺は関西の文化というよりも関東の文化なんだろう。
名古屋と言うのは、何かにつけて関東と関西をうまく使い分けている。
「きしめん」のさっぱり味は、関西から取り込んだものだけど、「ひもかわうどん」と呼ばれたように干瓢の皮のようなうどんは、「ほうとう」とかから来たものではないか?
などなど、嫌いな人も多い名古屋の食べ物は、あんかけスパゲッティーにしても、美味いのだ! あ、そうか…。昼前に入って、昼は、あんかけかあ。よし!

2010年8月28日土曜日

2010/08/24

久しぶりに、飯田橋に出かける。

人と会うためだ。

もう少し早く出かけたら、いろいろと見てあるけたのにと飯田橋についてから悔やんでいる。

最近は、すべて体調と相談。

「今日は具合いかがですか?」

とお伺いをたてる始末。

ひどいときは、背中が痛む。

足がむくむ。

昨日などは、ひどかった。

今日は、出かけたので、割といい。

深夜に、アンゲロプロスの映画をやっていて、途中から観ていた。

昨日に引き続き、その画の力に、圧倒される。

来月は、ヒッチコックとアンゲロプロスをまとめて観ることにしようと心に決める。

森繁の上映会、行きたいんだけど、断念かな。

2010年8月25日水曜日

2010/08/23

どうも最近の子供たちは、

「面倒くさい」

が口癖のようで、何かと言うと、

「あー、面倒くせえなあ」

などと言う。

そう言うときは、

「お前、息してるのも面倒くせえんじゃねーの?」

ときいてみることにしてるんだが、最近、効果あってか、

「面倒くさい」

を言わなくなった。

その代わりにと言っては何なんだけど、ボクの方が、

「面倒くさい」

とこっそり言うようになった。

でも、ボクが言っても、誰も、

「息してるのも面倒くさいんじゃないの?」

とは言わない。

言われたら、

「そうなんだよ! だからひと思いに殺してくれないかな」

と言おうと思っているんだけど、誰も言ってくれないので、未だに言わずじまいだ。

実際、生きてる以上に、

「面倒くさい」

ことなんてありゃしないだろう。

カウリスマキの映画に、『コントラクト・キラー』と言うのがあって、自分を殺して欲しいと殺し屋にお願いするのだが、気が変わって、もっと生きたいと主人公は思うようになり、殺し屋に「殺しの中止」を申し出るのだが、既に、殺し屋は、代行の人間に「仕事」の発注を済ませていて、「殺しの中止」は、キャンセルとなってしまう。

それで主人公は、見えない殺しの代行者から逃げ惑うことになるのだが、最後がどうなったのか、覚えていない。

ボクが以前作った映画に、『殺し』と言うのがあり、シナリオを書くきっかけとなった映画の中に、この『コントラクト・キラー』があるが、内容は全く違っていて、『コントラクト・キラー』の主人公から遺伝子を受け継いだのは、『殺し』の主人公が働いていた以前の会社の上司で、『殺し』では、深水三章さんが演じた役だ。

石橋凌さん演じる主人公は、この男を追い詰めて、殺そうとするのだが、堤防の突端まで逃げた男は、転んでしまい、ついに観念する。

拳銃を手に、男の後頭部に狙い澄ます主人公。

その時、男は、振り返って、主人公の目を見て、ニタリと嗤う。

ボクはこのシーンを撮影していた時、このカットのことは思いつきもしなかったのだが、現場で突然、深水さんが、

「ね、監督。次のシーンなんだけどさ、俺、振り返って、嗤ってもいいかな」

と相談を受けた。

そのシーンの説明をして、リハーサルを終えて、いざ本番に行こうとした矢先のことだった。

そもそも、このシーン自体が、現場で思いついたシーンで、雪の中で、自分の墓穴を掘るというシーンも、確か台本にはなかったかと思う。

なので、ボクは、とにかくそのシーンを、その日のうちに撮り切るのに必死で、深水さんの演じる役の身になることも、なかった。

「嗤うんですか」

と、ボクはとても不愉快な顔をしたように思う。

「駄目? 駄目だったら良いんだけど」

深水さんは、そう答えた。

「でもね、殺される前に、俺は嗤いたいんだよね」

「嗤うのか」

「嗤いたい」

深水さんは、真剣な表情で、ボクを見詰めて言った。

ボクはまだ半信半疑だった。

「何を言ってるんだ」

と心の中では苛立っていた。

カット割りをし直さなくてはならない。

しかも、突風の吹く、苫前の海岸でだ。

日没は間近で、時間もない。

撮影部も照明部も、

「早くしてくれよ。撮り切れないよう」

と、助監督にこぼしている。

体感温度マイナス30度の中で、次に撮るシーンのカット割りが決まらない。

ボクは、土壇場に立たされた。

ボクは、

「五分、時間が欲しい」

と言って、現場を離れ、スタッフの車の中に飛び込んで、台本を広げた。

雪が溶けて、水浸しになった台本は、ページをめくるだけで、破れていく。

赤やら青やらで書いたメモやカット割りも、何度も書き直したので、何が何だか判らなくなっている。

それで、ボクは目を閉じて、次に撮るシーンのカット割りを、順番に思い浮かべていった。

判らない。

もう考えをまとめる体力もない。

おまけに指は寒さでかじかんでいて、鉛筆を持つ手もこわばっている。

五分が経った。

制作部がボクを呼びに来た。

ボクは、断頭台に立つような思いで、現場へと向かった。

いきなり深水さんが、

「どう決まった?」

と、ボクにきいた。

「決まりました」

とボクが言った。

「俺もね、今まで考えてたんだけどさ、やっぱり嗤わない方がいいんじゃないかってね。そう思うようになったんだよ」

で、ボクは、

「いや。嗤いましょう」

と答えた。

咄嗟の返答であり、決定だった。

そして、撮影は、男が振り向き嗤うと言う方向で進んだ。

すべての撮影が終わって、編集作業に入っても、このシーンになると、思い悩んだ。依然として、ボクは、男が嗤うということに、抵抗があったのだ。





なぜ、こんなことを今頃書いているのかと言うと、ボクはあの頃より、ずっと老けたんだなと思ったからだ。

いくら自分の方から依頼した殺しであっても、いざ、殺しの代行人から拳銃を突きつけられて、ボクは嗤うかと自問したら、

「嗤うかも知れない」

と今は思うからだ。

どんな人生を送った人でも、死ぬ寸前には、人生の辻褄は合うものだと言う言葉がある。

それは、きっと、「諦念」ではなく、「納得」なんだろう。

でも、その時のボクは、ただ単に天の邪鬼で、深水さんの言葉の逆をしたに過ぎない。

あの頃のボクには、まだまだ夢と希望があったということだ。

では、今は…??

夢も希望も、ある訳がないのだ。





10月に、札幌蠍座で、ボクの特集上映があります。

『春との旅』を含めた、五本の映画が掛かる予定です。

ラインナップは、

『春との旅』

『殺し』

『女理髪師の恋』

『バッシング』

『幸福』

です。

よろしかったら、ご覧ください。

2010年8月23日月曜日

2010/08/22

東京大田区で、104歳の女性の白骨化した死体が見つかり、その長男(64)が逮捕された事件。

長男の手帳には、母親の死亡した日のことも書かれていたと言う。

死亡した母親は、リウマチでずっと病床にいたという。食事の世話をしていた長男は、ある日から、母親が食事をしたくないと言い出し、その言葉に従い食事を与えることをしなかったそうだ。母親としては、息子に迷惑をかけたくなったからだと言う。長男は、そう言っていたらしい。お金の問題だ。

長男は新潟で暮らしていて、その頃から消費者金融に借金をし、文京区の母親の住む実家に戻っても、借金を繰り返し、金がなかったのだそうだ。

母親に与えられていた年金は、「悪いことだとは知りながら」長男が生活のために使ってしまったらしい。

またひとつ、何とも、陰惨で、惨い事件が起こった。

――こう言う事件を新聞で読むと、いたたまれない気持ちになる。

ボクのような自由業の人間は、言わば明日をも知れない運命にある。決して人ごとではないのだ。

ぞっと鳥肌が立ってしまい、どうしていいか判らなくなってしまう。

嫌だな。

金の苦労で終わるような社会が良いわけがないのはみんな判っているくせに、政治は、ちっともそこに目を向けようとしない。

政治家は、かつてのアカ狩りのように、「社会主義的」を忌み嫌い、あたかも悪い傾向のように指摘する。働かざる者、食うべからずって訳だ。

あたかも人間の資格が、働いて金を稼ぐことのようになっている。

民主主義が一番と、金科玉条のように声高に叫ぶが、今の日本のどこに民主主義があるのか? 資本主義しかないではないか! 

こんなことを書くと、怠け者の考えだと人は言うだろう。

確かにこんなことを、成功者は書きやしない。

日々の食い扶持に困ることのない人たちにとっては、「寝言」にしか聞こえやしないだろう。

個々の人間にとっては、個々の事情と言うものがある。

確かに、前記の長男のしたことは、決して見上げたことではない。

しかし、だからといって、長男を非難することが出来るんだろうか? ボクだったらどうするだろう? 同じことをしたんじゃないだろうか?

判らない。

働いて、金を稼ぐことが苦手な人たちを、社会的に欠陥を負った人たちと人は呼ぶ。あるいは怠け者と。

そんな人たちへのケアは未だなされないままだ。

その人たちには、死ぬことしか残された道はないのだろうか?

しかし、朝日新聞なんかは、こう言う事件に、冷淡てどういうことなんだろうな。

サッカーの日本代表の監督捜しが難航しているなんて記事が、二面に出てるけどね。



テレビを見てたら、小沢一郎が総理大臣になったら、民意が許さないとか言ってたが、本当なのか? と、思う。

何かしてくれそうなのって、もう、あの人ぐらいしかいないんじゃないかな。

政治家ってのはほんとに胡散臭いが、テレビで政治のことを興奮して話すタレントもどきは、もっと胡散臭いな。

2010年8月22日日曜日

2010/08/21

東京に戻り、一日、寝て過ごす。

息子は、「もっと大阪にいたい」と言い続けるし、ボクももうしばらく天満あたりをぶらついていたい気持ちだったので、東京に着くなり、家族全員で気落ちしてしまう。

以前ボクは、池田市の建石町と言うところで、一年近く過ごしたことがあるが、古いが平屋で、とても気持ちのいい家だった。

まだ息子が生まれたばかりで、ボクはこたつで脚本を書き、時々、息子の寝顔を眺めたりしていた。

その頃書いたのが、『春との旅』で、暮れも押し迫った年末のことだった。

何度かワープロ上で直して、プリントアウトしたものを、年が明けた正月に義父に読ませたら、「何でこんなしょうもないもん書くんや」と言われた。

それでも、

「いい脚本やんけ」

と誉めてくれた。

それが始まりだった。

義父はその後大病をしたが、今も元気に息子から預けられた犬の散歩に毎朝五時過ぎに起きて近所を歩いている。

車の運転も続けていて、今年はプリウスを買い、半年足らずで一万キロ近くも乗っている。

恐れ入るばかりだ。

ボクもボクで、食事制限を続けていたせいが幾分以前より体が軽い。

今日は果たせなかったが、出来れば毎日、歩くようにしようと思っている。

歩くと腹が減るが、その分、食べる訳にもいかず、辛いのだけれど。



今日は、散々な日で、メールなどのやりとりに使っているiPhoneの連絡先がすべて消去されてしまい、ネットで調べて、iPhoneの復元と言うのをやったのだが、今度はすべての音楽が消え、おまけに辞書なども消失。

泣くの涙で、ふて寝してしまった。

目覚めたのは、深夜。

気を取り直して、仕事場に行き、パソコンを開くと、懐かしいハンブルグのウッツ氏から、メールが届いている。

ウッツ氏は、以前ハンブルグ映画祭のディレクターだった人で、癌を患い、映画祭から離れてしまった。

それでもウッツ氏は、ボクがハンブルグに行ったとき、自宅に食事に招待してくれて、楽しい時間を過ごしたものだった。

いつだったか、ウッツ氏は、ボクに、

「寒くて、悲観的な映画はもう良いから、いつか明るい春の映画を作ってくれ」

と言っていた。

だから、『春との旅』を作ったわけではないけれども、映画祭にスクリーナーとして送ったDVDを観て、とても気に入ってくれて、映画祭のスクリーンで、もう一度観るとメールには書かれていた。

何だか、今日一日の嫌なことがいっぺんで晴れてしまい、元気になってしまい、今はアイスコーヒーを飲んでいるルのだが、ビールに変更しようかと思い始めている。

ウッツ氏は、ドナルド・サザーランドに似た大男で、地元のサッカーチーム、ST PAULI の熱烈なサポーターで、HPも運営している。

何でも、ST PAULI は、去年の五月で、結成100年になると言う。

それは知らなかったのだが、ボクは毎回、映画の撮影中、このチームのキャップを被っている。

普段も被るが、もうボロボロなので、なるべく使わないようにしているのだ。

髑髏のマークが強烈で、はじめは被るのに抵抗があったが、今ではこれがないと、何だかしっくり来ない。

ボクの宝物のひとつだ。

Tシャツと一緒にこれをくれたのがウッツ氏だったのを今思い出した。

いつかまたハンブルグに行ったときは、新しいのを何点か買い求めようと思っている。

でも、ボロボロになっても前のは捨てないけどね!!

2010年8月21日土曜日

2010/08/20

数日間、大阪で過ごした。

森繁久彌さんの特集上映があることを知って、お盆がてら奥さんの実家に世話になるとことにしたのだが、森繁の特集上映は、スケジュールの都合で、肝心の駅前シリーズや社長シリーズを観ることが出来ず、森繁がゲスト的に出演した『二百三高地』一本に留まってしまった。

しかしこの『二百三高地』が思わぬ拾いもので、DVDでも過去に発売されているようなので、もう一度観てみたいと思っている。

とにかく笠原和夫の力の籠もった脚本が見事だ。

音楽のさだまさしも、奇跡的な名曲を提供している。

「防人の詩」の歌詞、曲は、誰もが作れる歌ではない。

このひとにしか作れない。しかも、二度とは作れない歌に違いない。恐らく、さだは、笠原和夫の脚本に心打たれ、この歌を書いたに違いない。映画作りは、各パートが全力を出して、いい作品にしようと言う気概がないと成功しない。見事に、さだはその期待に応えたが、それ以上のものを残した。

歌が大ヒットしたからだ。

ほろ酔いでこの映画を観たせいか、ボクは映画の前半、少しばかりまどろんでしまった。映画館で、居眠りをするなんて何年ぶりかのことだ。外は灼熱地獄なのだから、体がほっとしたのかも知れない。映画館の中は、寒いほどで、覚醒してからは、体をさすってないと、じっとしていられないほどだった。

映画の後半は、闘いのシーンが延々と続く。

前半とは、別の映画を観ているような錯覚に陥る。

前半、ひっきりなしに出ていた、伊藤博文役の森繁の姿は、後半ぷっつりと途絶え、変わって現れるのが、仲代達矢扮する乃木希典だ。

主役がここで、時の首相から現場の指揮官へと変化する。

そして、ラストシーン。

あらゆる犠牲を払い、日ロ戦争に勝った日本。しかし、乃木希典は、天皇を前にして、報告文を読み上げるその半ばで、泣き崩れていく。

見事としか言いようのないラストシーンだ。

映画は、テロップに変わり、伊藤博文が暗殺されたことを告げ、乃木希典は妻と共に、自刃したと告げられる。

この映画の監督は、舛田利雄。製作・配給は、東映。

未見の方は、是非!



と、言う訳で、映画は、この一本で終わってしまい、食い意地がはったボクとしては、あちこちを食べ歩きしていたのだが、注文した料理のほとんどは、残さなければならず、それがまた尾を引いて、頭の中は、食べることへの興味以外はないかのように、大阪の街を彷徨い歩いていた。

それでも、頭の中には、『二百三高地』の様々なシーンが、浮かんでは消えて行き、中でも特に、仲代達矢の名演には、繰り返し、感心した。

素晴らしい俳優だ。ボクは『春との旅』で縁あってご一緒したのだが、撮影当時、ボクは仲代さんの偉大さに、まだ気づいていなかったんじゃないかと思えた。この映画を観た後、九条の商店街にある食堂で、ひとりビールを飲んでいたのだが、コップを持つ手が、震えて、治まらなかった。

いやはや。

2010/08/15

『告白』について、アップリンクの浅井さんが文章を書いていて、なるほどと思うところもあれば、どうかなと思うところもあり。

基本的に、浅井さんは映画の作り手と言うよりも、アップリンクの社長であり、自身も配給会社を経営したりしている人だから、見方も相当違うのは否めない。歳もボクより少し若い。

観てきた映画も違う。

ボクはこの映画については、もう書かないと宣言したのだが、浅井さんの文章がきっかけで、「映画以前」とツイッターで繰り返したら、誉めている人たちから、へそを曲げられた。

別に、へそを曲げられてもどうってことはないのだが、それで終わってしまうのも口惜しいので、改めて書くことにした。



でも、最初にこう書いておく。

以下の一行を読んで、「ああもう駄目だ。俺とは違う」と思う人は、読まないで欲しい。大ヒットした映画だから、苦言を呈するのであって、こけた映画に唾かけるようなまねは、同じ映画を作る身としては、やりたくないことだ。

中島監督の映画は、『下妻物語』しかボクには認められない。

しかし、『下妻物語』作った中島監督をボクは偉大だと思うし、CM上がりだとか言って揶揄する気持ちは毛頭ない。

ここには、映画の息吹に溢れていて、まるで全盛期のトリュフォーの映画を観ているような気持ちになった。

激しく嫉妬した。

DVDを買い、何度も見直したが考えは変わらない。

中島監督本人が、トリュフォーに遡って、この映画を構築したのかどうかは判らないが、トリュフォー映画から大きく影響を受けたであろう、『アメリ』からの影響は、十分に伺える。

それだけでボクには十分だ。

これは、もちろんパクリなどではなく、オマージュであり、この映画で中島監督は、大きく振り切ったのだと思う。

映画作りの自由を手に入れたのだ。

しかし、それに続く、『嫌われ松子の一生』では、その手に入れた自由を、我がものとし、また大きく確信犯的に展開させ失敗した。

『嫌われ松子の一生』には、『下妻物語』同様、『アメリ』からの影響は残っているものの、作為的で奇抜な映像処理ばかりが延々と展開され、映画にとってもっとも必要な、そして、中島監督だからこそ描き得たリリカルさの微塵もなかったのには、ショックを覚えた。しかし、この映画もヒットした。ヒットすれば、自分の方法論が間違っていなかったと理解するのは当然ことで、この作品以降、彼は、『下妻物語』で獲得した自由な映画作りを、独善的な映画作りにと発展し、誰にも歯止めが利かない存在になってしまったようだ。

『パコと魔法の絵本』は未見。観る気にもなれなかった。いつか観てみようとは思っていたが、今の今まで観てないのだから、きっと死ぬまでこの映画を観ることはないだろう。なので、この映画については書かないが、次の『告白』では、どうか?

中島監督はシリアスに徹して、この原作を脚色、スローモーションを駆使して、この映画を作った。

全体をモノトーンに加工し、あたかもホラー映画のようにこの社会性あるテーマ(うわべだけなのだが)を、処理していった。

しかし、何たる杜撰な脚本だろう。

すべてが映像を優先させた結果、登場人物の誰一人として人間性が感じられない。そればかりではなく、まったく物語の辻褄があっていないし、リアリティーも希薄と言うか、皆無だ。

もちろんすべての映画に、リアリティーが必要だなどと言っているのではないが、少なくとも、社会性もどきを映画に取り入れたならば、作り手の姿勢ぐらいは示して欲しいものだが、最低の作り手の節度なりも、この映画では示していない。むしろ、放棄しているように見える。

学校の窓が曇りガラスであったり、冬なのにプールに水が張っていたり、ファミレスの内部の有り様のお粗末さ。どれひとつをとっても、観客を馬鹿にしているとしか思えないではないか!

しかし、観客は、そんなことはたいしたことではないかのように、ほとんどといっていいぐらいに、このことには触れない。

むしろ、あらやるシーンに監督のメッセージが隠されているかのように、曲解してとらえる。

不思議だ。

以前、ボクは脚本家の先輩から、脚本はわけがわからないほうがいいと言われたことがある。

単純明快な脚本は、あらをつきやすく、質的にも低くみられるからだそうだ。

あたかも芸術作品であるかのように、読み手に深読みを強いるような難解なものの方が良いのだそうだ。

しかし、そんなことを言われて、「はい、そうですか」と、自分でも訳のわからない脚本を書くわけにもいかないから、それはそれで聞き返したが、理不尽な思いだけが残った。その人の書かれた脚本は、ある時から訳のわからないものになっていき、出来上がったドラマから知性は感じられるものの、感動を味わうことは出来なくなっていった。

映画を作り始めて、ある人からこんなことも言われた。

評論家が気に入るような映画を作らないと、一生浮かばれないよと。

ボクはびっくりして、聞き返したものだが、その人は、ボクのためを思っていってくれているのだなと思った。

「評論家が書きやすいように作る映画もある」

なるほど。

そして、その人は、こうも言った。

「映画は誰か一人のひとに向けて作られるべきなんだ」

と。

もちろんその人は、前者には、異を唱えている人なのだが、あまりにボクの映画作りに、戦略が見えないことに苛立っていたに違いない。

ボクは今でもそうなのだが、そもそも映画作りに戦略があるなどと思ったこともないのだから…。

以来、ボクは、その人の言われた後者、「映画は誰か一人のひとに向けて作られるべきなんだ」の意見には従って、映画を作ろうとした。

でも、これはことのほか難しい。

「よし! この人だ!」

と決めたところで、映画が制作されるとすっかりその人のことは忘れてしまい、ただただ作ることだけに没頭した。ただ一人の人に向けて映画を作ると言うことは、なかなか難しい。「その人が気に入るように映画を作る」ことは、さらに難しい。

でも、映画は、「一人の人に向けたラブレターであるべき」との言葉は、今もボクの大きな課題だ。

何本か、ボクは映画に献辞を載せた。

それら映画は、辛うじてその人のことを心に思い制作した。

しかし、最近のボクの映画に、献辞はない。

話を『告白』に戻すと、この映画、40億もの興行成績を上げたと言う。

ツイッターなどでも、「良かった」とか「面白かった」とかの書き込みが沢山ある。

しかし、だからと言って、ボクの見方が古いのとは思わない。

駄作だとは言わない。

確かに、映像には、目を見張るところが沢山ある。

でも、もう結構だ。

この映画の良いところを探し出したりする気持ちにはなれないし、とてもじゃないが、二度と観たいとは思わない。

観客を愚弄した映画が、大ヒットを飛ばした。観客は、愚弄されていることにも気づかない。むしろ、無邪気に歓喜する。

暗喩が込められているなどと持ち上げる。

馬鹿馬鹿しい。

2010/08/14

夕べは久しぶりに夜更かし。

いや、そうでもないか。

最近は、夜型の傾向があるな。

では深夜に何をやってるのかと言うと、別にたいしたことをしている訳ではなくて、ノートを広げて、企画やらを書き留めているのだけど、なかなかシナリオにする気がおきない。

いつもならそろそろなんだけどね。

今年はまだ映画を作っていないので、少し焦りだしているけど、自分が誰よりも大馬鹿のろくでなしだと思う時期は、必要だな。

もっと凹めと思うよ。

凹まないと駄目だな。

ボクの場合はね。

徹底的に凹んで、それでもやるのかというところまで自分を持って行かないとね。

でも、昨日は久しぶりに色んな考えがまとまって、嬉しいやらほっとするやらで、飲み過ぎたな。

クレアチニンの数値が、0.何ミリが減っただけでこんなに嬉しいと言うのは、どうしたことだろう?

おかしいんじゃないかと思うよ。でも、透析までの時間が少しでも稼げたのは、色んな意味で、ボクにとっては喜ぶべきことだからな。素直に、躍り上がって、喜んでましたね、昨日は。

こんなことに一喜一憂して、そのうち死んでしまうんだなと思う。

テレビで、大戦時の報道映画が放送されていたけど、おびただしい死者を見て、絶句した。

「シンドラー~」のドキュメンタリー番組を観た時もそうだった。

「人間ほど尊い存在はない」と言う言葉を唾棄したした上で、それでも、「人間一人一人はかけがえのない存在だ」と言い続けたジャン・ルノワールの言葉を、何十年ぶりかに思い出している。

確か、山田宏一さんが訳されたトリュフォーの言葉だったな。

近く、『シンドラーのリスト』を見直そうと思っている。

2010年8月15日日曜日

2010/08/13

病院に初めて車で行く。

朝のうちはとにかくしんどい。

何週間も空いたので、貧血になっているようで、体がとにかく重いのだ。

おまけに息子が夏休みで、留守番をさせておくわけにもいかないので、一緒に行くことになり、そうなると車の方が楽だ。

さらに、今はお盆休みの真っ只中で、街には人も車もあまりない。

いつものように採血をしてから、診察。

クレアチニン値が、前より幾分良くなっていて、少しホッとする。

奥さんが、「腹膜透析」の話を持ち出す。

「血液透析」のように一日おきに病院に行く必要はないのだが、「腹膜炎」にかかる可能性が高いと言う。

「腹膜炎」にかかるとどうなるのかは判らないが、「腹膜透析」はできなくなることは確実で、結局「血液透析」と言うことになるんだろう。

ならばはじめから、「血液透析」でいいじゃないかと思うが、想像すると、ぞっとして、逃げ出したくなる。

「いいですよ。尿毒症になったら、冬山にでも入りますから」

と、心で言うが、そんな度胸がないことも判っている。

しかし、参ったなあ。

こんなはずじゃなかったんだけどなあと独り言。

病院を出て、息子とプロントで一服。

息子、好物のカルボナーラ、食べる。

汁までスプーンですくって飲んでいる。

その顔を眺めながら、幸せな一時。

でも、すぐに飽きるんだ、この人は。

奥さんを呼んで、ボクらの昼食は、カレー。

クレアチニンの数値がほんの少し良いだけで、ボクも奥さんもはしゃいでる。

それが良くわかって、ボクは嬉しい。

家で、ビール。

夕飯を食べてから、久しぶりに、一人で繰り出す。

緑茶ハイを二杯。

でも、全部は飲めない。怖くて、飲めない。

もう、バカは死ぬまで、出来ないんだろうな。

2010/08/12

一日寝て過ごす。

こんな日がなくちゃね。

とは言え、明日は病院。

憂鬱だ。

マッキーの舞台にも行けなかったしなあ。

ゴメンね。

2010/08/11

今日は奥さんの誕生日だ。

なのに、ボクときたらすっかり忘れてて、予定を入れていたのだけれども、奥さんに前日知らされて、青ざめた。

で、今日の予定は中止して、奥さんのお祝いをする。

焼き肉。

初めて食べる高級な肉に、驚いた。

こんなに旨い肉を食べたのは、何年ぶりか?

2010/08/10

東京へ。

奥さんはメディアテークを見たいと言っていたのだけど、結局、素通りもできず、高速に入る。入ったら最後飛ばして帰るほかはない。

途中、いつものようにPAに入るが、たいしたものはなく、蕎麦を三分の二ほど食べた。

意外と帰りは、疲れた。

もうこんなことは、できなくなっていくのかも知れない。

2010/08/09

仲代さんらご一行を見送り、ボクらは仙台へ。

とにかく東京までの道のりは想像以上に疲れるもので、帰りは、平日で高速の割引も使えないので、仙台で一泊して、やっくり帰ろうと思っていた。

それでも、仙台まで道のりはずいぶんとある。

たいしておもしろい道でもない。

市内に到着して、ファミレスで、昼食。

それから、ホテルへ。

初めて泊まるホテルだが、大風呂はあるし、安いので、本当ならお世話になったプラザなのだけど、経済事情もあり、勘弁してもらう。

ホテルで少し休んでから、弁天町の瀬戸物屋へ行きたいと奥さんが言うものだから、案内して歩く。

ここは映画のロケに使ったところで、まだ取り壊されずに残っていた。

しかし、とにかく歩きすぎた。

足がぱんぱんで、どうしようもない。

帰りに駅の近くのカフェに入り、少し休憩。

それから、夕飯は、少し気張って、「聘珍楼」で中華。

ホテルに戻って、息子と大風呂に入った。

足の具合は戻ったものの、ホテルの冷房は辛い。

ビール飲んで、空腹を満たす。

とにかく何でも最近はほとんど食べられないのだから、悲しいよね。

2010年8月14日土曜日

2010/08/08

気仙沼市民会館にて、『春との旅』の上映会。

特別ゲストで、仲代達矢さんに来ていただく。

会場は、ずいぶん早くから市民の方々がいらして、早めに開場。

二時の上映を、お客さんが絶えないので、五分ほど遅らせて、上映。

映画が終わると、トークとなり、ボクがまず挨拶し、その後、隠していた仲代さんを紹介する。途端に、大きな拍手で、会場内は、仲代さんの言葉に耳を傾ける。

司会の村上恵子さんは、仕事のかたわら、太鼓の先生をしているとかで、この開場でも何度か、公演をされたようで、

「太鼓なら全然あがらないんだけど、映画の後のトークの司会というのは、初めてのことだから」

と、かなり緊張している。

いろいろと事前に会って、話したのだけれど、緊張はほぐれなかったようで、事前に用意していた進行メモのようなものも、あまり用をなさなかったようだ。

それでも、あらかじめ用意していた進行台本などを読み上げるよりもよほど、気持ちは伝わっていて、ボクとしては、よかったんじゃないかと思う。

トークとか舞台挨拶が過剰に仕組まれたものだと、ボクなんかは何のおもしろみもなくなってしまう。

それだけは避けたいと今回の上映会では思っていたのだ。

お客さんは、市民の方々。

以前、ここで「気仙沼映画祭」なるものを開いたが、その時と同様で、なかなか市内から外には広がらない。

これにはいつも、頭を悩ませてしまうが、もし次回があるとしたら、何か率先して、市内はもとより、市の外にも発信できるような宣伝をしていかなくちゃならないと思っている。

手売りが基本の地方での興行。問題は山積している。

トークが終了して、場所を移して、「慰労会」のようなものが開かれた。

こちらも盛況で、映画にボランティアとして参加してくれた唐桑の人たちも多数来てくれて、ボクとしてはうれしかった。

東京から駆けつけてくれた下田くんにも感謝。

息子のお守りをしてくれて、さぞ疲れただろうな。

ホテルで、食事。

久しぶりに、そして、ようやく仲代さんと話せた。

新しい企画の話などする。

まだまだ企画の段階だが、これから、少しづつ形にしていこうと思っている。

飲んでしまったので、今日は、ホテルに泊まることにした。

深夜になって、ようやく奥さんと乾杯。

そろそろ、『春との旅』から離れたいと思う。

でないと、何も始まらない。

2010/08/07

息子の飛び火がまた再発。

気仙沼の病院へ。

「だから、直っても、薬はしばらく飲み続けなくちゃって言ったじゃないか!」

とボク。

「お医者さんが、薬出してくれないんだから仕方がないでしょ」

と奥さん。

「出してくれないじゃなくて、くれって言えばいいんだ」

「だったら、お父さんが連れてってよ。それで、お医者さんに言ってよ!」

などなどの口げんかの末にたどり着いたのだけども、今の医者と言うのはどうしてなのか? でき物は治まっても、抗生物質はしばらく飲み続けた方がいいと言うことを知らないんだろうか?

不思議だ。

とにかく、これで三度目。

もうそろそろ、おしまいにしてくれないものか。

薬をもらい、帰りに市場で、ホタテなど買う。

帰ったら、荷造り。

もう、映画を観るような状態ではない。

荷造りが始まると、さらに奥さんは殺気立つ。

ボクと息子は、片隅でテレビを見ているが、奥さんは、深夜まで荷造り。

もちろん、ぶつぶつと小言を言いながらだ。



明日は上映会で、気仙沼に宿泊。

あさっては、そのまま仙台行きなので、唐桑には、明日の午前中までということになる。

それでも、また近々来ることになるので、荷物の大半は、残して行くつもりだ。

今月22日に、鹿折の「かもめ通り」で、お祭りがある。小さなお祭りらしいが、今年こそは、見たいのだ。以前、書いた『カモメの恋』と言うシナリオもある。

でも、どうかな…。行けるかな?

2010年8月13日金曜日

2010/08/06

『ジャッカルの日』を観たことを、書き忘れていた。

初めて観たのは、三鷹オスカーだったろうか? それからDVDが出ると買い、レーザーが出ると買った。買ったばかりではなくて、何度も繰り返し観た。

どうしてか、ボクはこの映画がとても好きだ。

それは、舞台がヨーロッパで、特にフランスの香りがしていたからだろう。

トリュフォー映画でお馴染のマイケル・ロンズデール、デルフィーヌ・セーリグ、フィリップ・レオタールなどが出演している。

しかしこの映画の見事なまでの娯楽性は、やはり監督のフレッド・ジンネマンによるところが大きい。とにかく、冒頭から緊張の連続で目が離せない。『太陽がいっぱい』ばりの暗殺者の完全犯罪を目論む様の細かい描写。メルヴィルの『サムライ』に影響を受けただろう、寡黙で、ストイックな主人公。

こう書いていて、ジンネマン監督は、当初、アラン・ドロンを主人公に考えていたのではないかと思えるほど、『サムライ』への共通点は多とある。

しかし、だからと言って、主人公役のエドワード・フォッスの一世一代の名演を汚すことにはならないだろう。

とにかく、素晴らしい娯楽作だ。





以下、フレッド・ジンネマンションの経歴を、ウィキペディアより転載しておく。

彼の映画は、いわゆるアート系ではないことから、低くみられがちだが、一本一本の作品には、彼の人生同様の苦悩と映画への愛に満ちているように思う。



生い立ちと青年時代

オーストリア・ウィーンにて代々医師のユダヤ系ドイツ人(ユダヤ系)の家系に生まれる。父は医師のオスカー・ジンネマン、母はアンナ。



医師の子として生まれたジンネマンは子供の頃から音楽家になることを夢見ていたが、才能がないことを知り早いうちに断念する。



ウィーン大学在学中にキング・ヴィダーの『ビッグ・パレード』、エリッヒ・フォン・シュトロハイムの『グリード』、カール・テオドア・ドライヤーの『裁かるゝジャンヌ』、セルゲイ・エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』等の映画に夢中になり、映画で生計を立てることを決心する。オーストリア流のファシズムが隆盛になりつつあったこの時期、両親の反対を半ば押し切ってフランスに渡りパリの映画撮影技術学校で学ぶ。その後、ドイツのベルリンでカメラマン助手の仕事に就くが、ハリウッドのトーキー映画がヨーロッパに到来し無声映画が終わりを告げた時代に入り、ヨーロッパの映画製作が停滞気味だと感じたジンネマンは今度はハリウッドに渡ることを決心し、1929年の秋、渡米する。時代は世界恐慌に突入する頃である。



修行時代

ウォール街が崩壊した日にアメリカのニューヨークに到着したジンネマンは、それからハリウッドに向かいカメラマンを志望するも意に反して配役係に回されて『西部戦線異状なし』(ルイス・マイルストン、1930年)のエキストラに就くことになる。



しかし6週間後、チーフ助監督と喧嘩をして首になった後、映画監督ベルホルト・ヴィアテルの助手になる。この頃のヴィアテル家の来客者にセルゲイ・エイゼンシュテイン、チャールズ・チャップリン、F・W・ムルナウ、ジャック・フェデールらがいた。その中の一人、記録映画監督ロバート・フラハティに助手になることを申し出てフラハティとともにベルリンへ渡る(この渡独は映画製作の為の一時的なもの)。この仕事は結局、実現しなかったがフラハティはその後のジンネマンの映画製作において強い影響を与えることになる。



見習い時代

不景気のどん底の1933年、メキシコから長編ドキュメンタリー映画の依頼があり、『波』(公開は1936年)を監督する。尚、この映画はジンネマンの知らないところでサウンドやシーンが付け加えられている。



ハリウッドでは、『永遠に愛せよ』(ヘンリー・ハサウェイ、1935年)の第二班監督や、『孔雀夫人』(ウィリアム・ワイラー、1936年)、『椿姫』(ジョージ・キューカー、1937年)での短い仕事に就く。



1938年、MGMで3年間、一巻物(約10分間)の短編映画の監督をすることになる。主人公の一生を、低予算、短期間、かつ上映時間は10分半で描かなければならないこの短編映画の仕事が、フラハティと『波』に続いて貴重な学習の期間を得る機会となる。 この頃に若き日のジュールズ・ダッシン、ジョージ・シドニー、ジャック・トゥールヌールらと知り合う。



映画監督

1941年にB級映画『Kid Glove Killer』を監督。これが初の(一般)長編映画で、これがジンネマンが見習いから職人になった映画監督としてのスタートになる。同じくB級映画の『Eyes in the Night』(1942年)を監督した後、1943年、メトロ・ゴールドウィン・メイヤーでナチス・ドイツからの逃亡者を描いたAピクチャー『The Seventh Cross』(1943年)を、主役にスペンサー・トレイシーを迎えて監督するが、撮影後フロントと衝突したジンネマンは再びB級映画にまわされる。 撮りたくない映画を2本撮るとその後は来る脚本を次々と断り、結局そのことが原因でMGMから停職処分を受けることになる。



戦後、ヨーロッパから上陸した映画に対し、センチメンタリズムにあふれたハリウッド映画の中での仕事に、ジンネマンは疑問を感じる。



その頃、ジンネマンにヨーロッパの戦争直後を舞台にした瓦礫の中の飢えた孤児を描く映画の仕事が来る。メトロ・ゴールドウィン・メイヤーも暫く厄介払いができると考え、『山河遥かなり』(1947年)の製作が始まる。完成した作品はアカデミー賞にノミネートされる(いくつかの賞は受賞)など評価は得たもののヒットまでには至らなかった。アメリカに渡って19年のジンネマンだが、映画の題材やメトロ・ゴールドウィン・メイヤーの宣伝効果もあり、ヨーロッパから輸入した監督という印象を与えた。



1953年の『地上より永遠に』と1966年の『わが命つきるとも』でアカデミー監督賞を受賞している。



私生活

1936年に『永遠に愛せよ』で知り合った、イギリス人のレネー・バートレットと結婚。 1941年には後に映画プロデューサーになる息子、ティム・ジンネマンが生まれる。 アメリカへのビザを待っていたジンネマンの両親は、それぞれ1941年と1942年にホロコーストで亡くなる。ジンネマンがそれを知ったのは戦後になってからのことである。



後年はイギリスを拠点にしていた。1997年、心臓発作で死去。



主な監督作



山河遙かなり -The Search

暴力行為 Act of Violence

真昼の決闘 -High Noon

地上より永遠に From Here to Eternity

オクラホマ! Oklahoma!

夜を逃れて A Hatful of Rain

尼僧物語 The Nun's Story

サンダウナーズ The Sundowners

日曜日には鼠を殺せ Behold a Pale Horse

わが命つきるとも A Man fof All Seasons

ジャッカルの日 The Day of the Jackal

ジュリア Julia

氷壁の女 Five Days One Summer







今日は、『プレステージ』を観た。

これが二度目だが、一度目同様、睡魔との格闘で、話がよく判らないながら観!続けるが、ラストまで来て、二度観るほどのものではないと思った。

この監督の映画は、奇抜なアイデアと、手の込んだシナリオにより依存していて、『ダークナイト』では、コミックが原作ということもあり、その過剰なまでの演出と相まって、傑作を作りだしたが、本作や、その前の、『バットマン・ビギンズ』などでは、リアリティーをもってはじまった映画が、荒唐無稽さの中に収束されていくようで、観ている間は楽しめるのだが、観た後には、何も残らないということになる。

それはそれでいいというむきには、お勧めだが、ボクは御免だ。

別に映画を暇つぶしに観ているわけではないからだ。

ソダーバーグらがプロデューサーを買って出て成立した『インソムニア』のリメイクは、アル・パチーノとロビン・ウィリアムズという名優ふたりの組み合わせで、楽しめる映画になったが、元のノルウェー映画を観たものにとっては、映像の奇抜さがむしろあだになっているように思えてならない。

別に、嫌な映画というわけではないから、ご覧になっていない方は、ご覧いただきたい。



夜、テレビ放映されていたので、『サマー・ウォーズ』を観る。

ロカルノ映画祭で観た映画なので、ボクはもういいと思っていたのだが、息子が観ると言うので付き合った。

やたら滅多カットされていて、それでも、話の流れぐらいは判る。

しかし、地上波で映画は観るものではないなと思わせる。

以前、ある人が、ズタズタに切り刻まれてテレビで放映されても、ひどい画質のビデオで観ても、名作は名作だとおっしゃっていたが、この映画にはどうやら当てはまらないようだ。大ヒットした映画だから、敢えて難癖をつけさせてもらった。

2010年8月12日木曜日

2010/08/05

近くの大工さんが来て、雨どいの修理をしてくれている。

ボクは、お昼に、気仙沼へ。

上映会、最後の打ち合わせ。

帰りに、玉子と牛乳買う。

糖尿の時は、玉子などは、コレステロールが高いので控えていたのだけど、腎臓となると、カロリー制限の他に、塩分、タンパク質の制限があり、少量の高タンパク。特に、に玉子、肉などをとった方がいいと言うので、毎日、玉子を一個は食べる。肉は、焼肉なら、一切れかふた切れ。

それで一食は、おしまいと言うことになる。

空腹を満たすのは、でんぷんが一番いいのだが、タンパク米、タンパクパンなど食べては見たが、ほんとうに味はひどいもので、これを食べるなら、ひもじい思いをした方がいいという気になってしまう。

でも、カロリーを摂らないと、てきめんに無気力になるし、第一、体が動かない。

難しいところだ。

日が暮れてから、ペキンパーの『ゲッタウェイ』観る。

若いころは、ペキンパーの映画というのは、それほど好きではなかった。

トリュフォーは、映画にスローモーションはあり得ないという。映画的ではないというのだ。むしろ、ストップモーションだと。

ボクもそのように思った。

スローモーションは、使い方によっては必要以上にセンチメンタルになるきらいがあり、一瞬を記憶にとどめるストップモーションの方がより洗練されたオプチカル処理だというのだ。

事実、トリュフォーは一切、自作の映画でスローモーションを使っていないし、見事なほどの、まさに、映画史に残るようなストップモーションの使い方をしている。『突然、炎のこどく』のストップモーションでとらえたジャンヌ・モローなどは、今でもしっかりと脳裏に焼き付いている。

だからというわけではないが、アクション映画にスローモーションを取り入れたペキンパーの映画は、映像美とか、映画の美学とかもてはやされたが、ボクとしては、退屈な、センチメンタルなものでしかなかった。

デ・パルマの映画も同様だ。

しかし、今、そんな若いころの映画の見方から離れて、単純に映画を楽しむようになって、ペキンパーの代表作であり、ヒット作である『ゲッタウェイ』を観ると、その見事な演出ぶりに舌を巻かざるを得ないのだ。

素晴らしい!

としか言いようがない。

映画は、主人公のスチーブ・マックイーンが、銃砲店でショットガンを手に入れてから、我全、熱を帯びてくる。

そして、ラストのまさにチャップリンの『街の灯』同様の、走る車のバックショットまで、主人公とその妻、アリー・マッグローの逃走劇は続く。

この映画を、ハッピーエンドととるむきは、初めからこの映画を観る資格すらないと思う。

他のペキンパー作品を観ればいい。

『ワイルド・パンチ』でもいいだろうし、『砂漠の流れ者』でもいいだろう。むしろ、それらの映画の方が、ペキンパーらしさは出ている。

しかし、ボクは、今、過去にペキンパーを否定していた人間として、この『ゲッタウェイ』を推したい。

サム・ペキンパーという映画作家の個性が100パーセント出た映画ではないのかも知れないが、この優柔不断で、決断力のない、小市民的なコソ泥が、妻の裏切りから男として成長していく様が、あたかも良質な文学作品のように気品に満ち描かれていく。

もちろん、ペキンパーの映画に付きものの暴力も、ある節度の中で、美しく描かれている。当時の大スター、スティーヴ・マックイーンを主人公に迎え、ペキンパーは職業監督としての仕事をこなしたばかりか、自身の代表作にもしている。B級映画のお手本のような映画だ。

この映画のシナリオは、ウォルター・ヒル。彼の出世作と言ってもいいだろう。無駄のないそのシナリオ作法には、学ぶところも多いに違いない。

2010年8月11日水曜日

2010/08/04



昨夜は、霧で、向うの山も見えなかったが、今朝は快晴。
気温も、昨日と比べると少し高いようだ。
しばらく国会中継眺めるが、憂鬱になってきたので、切って、パソコンに向う。
こちらに来て、もう二週間以上経つのだが、近目用のメガネを掛けることがなくなってしまった。
ほとんどは、一本の遠近だけで済む。
これには驚いた。
東京では、家にいるときは、ずっと近目用のメガネを掛けているのだが、ここでは、本を読むとき以外、必要がない。
その本も、こちらにきてさっぱりなので、全く、必要がなくなってしまったと言うわけだ。
窓を開けていると、涼しい風が入ってくる。
ボクは、用がない限りほとんど外に出ないので、今日もまだ、外には出ていないが、日差しが強く、室内に慣れた目には、辺りがハイキーに飛んでしまう。
目が慣れるまで、随分と時間が掛かるようになった。
車を
運転していても同様で、瞳孔がうまく明暗に対応していないのかもしれない。
ま、これも、病気のひとつの症状なのだろう。
午後からも少しだけ、国会中継見る。
それから、『広州5.18』観る。
広州事件についてのことを、何も知らなかったボクが、この事件に興味をもったのは、桐野夏生さんの「DARK」を読んでからで、この小説を映画にしたいとずっと思っていて、広州事件にも興味を抱いた。
それで、この映画のDVDを手に入れたのだけれど、なかなか観る機会がなかった。
何度か、手に取って封を破り、観る寸前まで行くのだけど、その先の食指が動かない。
それでも、今日、ようやくこの映画を観たのだけど、事件のことはなんとなく判ったものの、それ以上のことは何も伝わってこなかった。
残念でならない。
最近観た韓国映画は、どれも似た傾向にあるようで、どんなに深刻なテーマでも、そこに娯楽性が加味されて、おどけたピエロ的人間が現れ、そのシーンで、緊張をほぐすようになっている。
そして、過剰なセンチメンタリズム。
どうしてこうなってしまうのか?
世界的に評価された監督の映画でも、同様で、明らかに興行的なヒットを期待しているのは判るのだけれども、その分、作品としての評価は、落ちてしまっているように思う。
日本とはまた違った意味で、映画産業も深刻なところに来ているのだろう。
家族で、花火。
ダイソーで買った24連発の花火は、100円のわりるには楽しめた。
それでも、あと一つか二つ、買っておけばよかった。
あっと言う間に終わってしまい、後は、スーパーで買ったセットの花火で、あまり面白いものはなかった。
部屋に戻って、映画観る。
『アンタッチャブル』。
これも本当に久しぶりだ。
最初に観た時には、二度は観るまいと思っていたが、この映画と20数年ぶりぐらいに再会した。
見覚えのある懐かしい顔が現れた。
その人の名は、チャールズ・マーティン・スミス。
素晴らしい俳優だ。
調べたら、ボクと同年のようで、尚更嬉しくなってしまった。
気弱な男を演じたら、この人の右に出る人はいないんじゃないだろうか?
デ・パルマの映画には、お馴染さんが沢山現れるようだが、この映画では、デ・ニーロと監督が、ケビン・コスナーを迎えて、充分にもてなしたと言う感じで、なかなか素敵な友情を感じる娯楽作だ。
デビット・マメットの脚本も快調で、淀みない。
最初に観た時の印象より数倍良く、自分でも驚いている。
息子も一緒に観たので、吹替えの方で観たのだが、息子もなんとなく満足した様子。
それも、また、楽しいものだった。
随分と今年の夏は、遊んだので、そろそろ仕事モードになろうと思うのだが、なかなかね。
でも、こんなにリラックスした日々を過ごすのも、初めてのことで、病気のおかげだと言ってもいいかも知れない。
ああ、そうか!
近いうちに、『今を生きる』を観よう!

2010年8月7日土曜日

いよいよ、明日、『春との旅』 気仙沼上映会です!




またもや、先日、三陸新報に、後藤泰男さんの書かれた投稿が掲載された。


またもや、ボクは感激してしまった。


その文章はもちろんのこと、その投稿が載った新聞を渡してくれた人が、向いのKさんのおばあちゃんだったからだ。


明日の上映会にも来てくれるという。


嬉しい限りだ。


とにかく今回の上映会は、市民の方々が多数いらしてくださる。


噂だとチケットも完売を通り越しているという。


でも、ご安心あれ!


当日券もあるようなので、観れないことはありませんので、ぜひ、どうぞ!


明日は、スペシャルサプライズのゲストもあります。


誰かは、内緒です!


来て見て、びっくりです!!


これ、ホント。


明日はぜひ、上映後のトークにもご参加ください。


楽しい質問、まってますよ!!

2010/08/03

朝発って、盛岡へ。

「わか葉」で昼食。

大将も忙しそう。

何よりだ。

挨拶もそこそこに退散して、「ドトールコーヒー」で、休憩。

居眠りしてしまう。

二時過ぎに、帰路につく。

唐桑まで、140キロほど。

流石にしんどい。

脚が少しおかしい。

手の指も攣りだす。

陸前高田を越えたところで、少し休憩。

手足を伸ばす。

帰宅して、パスタ少々食べる。

青唐辛子、うまい!

2010/08/02

盛岡へ。

何度かこの町には来たことがあるが、いつも乳頭温泉に行く途中だったりで、この町を見るのが目的の旅をしたことがなかった。

でも、今回は違うとの決心で出かけたのだが、やはり市街には泊まらず、少し離れた「つなぎ温泉」に宿をとった。

盛岡のさんさ踊りは、東北ではかなり有名なお祭りらしく、東北五大祭りにも入っているという。

しかしボクは唐桑の「若葉寿司」で知り合ったYさんに聞くまで、知らなかった。

もともとお祭りがそれほど好きではなく、子供のころから、家族で神田のお祭りなどに行くことになると、何かと理由をつけて留守番を決め込むくちだった。

とにかくひねくれているのだ。

人が集まるところというのが好きではない。

とは言え、ひとりでいるのも、苦手で、祭りの日、留守番となったボクだが、家にいるわけではなく、早速気の合う友だちと連絡をとり、囃子の音が聞こえる喫茶店に集まって、無駄話にこうじてたりした。

でも、今回は違うぞ。

お祭り好きの息子は喜んでいたが、宿の予約をしてみると、二食付きしか受け付けていないようなのだ。

しかも、「つなぎ温泉」は盛岡市内とは言え、さんさん踊りのある市街から、車で10分は走らなければならない。

ビールも飲まずに、お祭りを眺めるのも、あほらしい。

結局、市内に立ち寄ったものの、踊りは見ずに宿に入り、その日は、宿で過ごすことになってしまった。

息子は怒った。

しかし直ぐに機嫌をとり直し、風呂に入るとさっそく、はしゃぎ出した。



ところがだ!

楽しみにしていた露天風呂は、虻の発生で、注意書きの張り紙がしてあり、それでも構わず入ったのだが、ボクの頬に虻が止まり、はたき落としたら、次々と大きな虻の襲来に見舞われ、息子とボクは、あっけなく退散。

露天風呂と繋がった内風呂に入り、なんとか温泉気分を味わった。

「夕飯をとったら今度は大浴場だな!」

ボクはビールを飲みながら息子に宣言したが、部屋に戻ったら、布団が敷かれていて、横になったら、そのまま眠ってしまった。

風呂に入ってから、体が重く、歩くのがやっとだ。貧血状態なのだ。

どうやらボクの体に温泉の湯は、刺激が強すぎるようなのだ。

風呂場の入口の注意書きにも、腎不全の人の入浴をお断りする旨の注意書きがしてある。

結局、大浴場の方は入らずじまいとなってしまった。

それでも息子は、ことのほかこの宿が気に入ったらしく、「また来ようね。今度は、虻のいない冬に来ようよ」と繰り返す。

ボクとしては、今回が最後で、もう死ぬまで、温泉には入れないと思っていたので、少し悲しくなるが、まだ今年の冬なら何とか大丈夫だろう。

「よし! もう一度来るか!」

と息子に言った。

ひと眠りしたら、深夜に目が覚めてしまい、奥さんとさしでビールを飲んだ。

息子は熟睡していて、びくともしない。

色々話していたら、夜が明けて来た。

二本目のビールは、半分も飲めなかった。

2010年8月5日木曜日

2010/08/01

横になって間もなく、草刈りの音で、寝たり起きたり。

この季節になると、この集落では毎日誰かしらが、草刈りをしている。

エンジン付きのものだからうるさいが、草を刈る人の苦労を考えれば、なんでもない。

NHKの旅番組だったかで、イギリスの田舎町が取り上げられていて、大きな鎌をかついで行く人を追うと、草刈りの講習を受けているのだという。

エンジン付きのものではなくて、両手で左右に振って草を刈るものだが、これには修練がいるらしい。

なるほど。何事も、一朝一夕にはいかないものだなと思った。

エンジン付きの草刈り機も、そう簡単に出来るものではないようだ。

怪我をする恐れがある。

電気のもののならストッパーで、深手は負わないが、エンジン付きのものは、大怪我を招く。

チェーンソーも同様だ。

しかし、この集落の人たちは、いとも簡単に操っている。

麦わら帽子を被り、手袋をして、顔には網を被っている。蜂避けだ。

今朝、この集落では、一年に一度の、合同の草刈りだったようだ。

そう言えば奥さんも、昨日から、辺りの草刈りをしていた。

ボクはと言えば、それを眺めているだけだ。

しかも訝しげに。

雑草などは仕方ないとしても白い花の咲くどくだみ草やミントなどのハーブまで刈られてしまうと、何だか、物悲しい。

しかしそうも言ってはいられない。

やはり、雑草は刈らねばなるまい。

家の裏手に、竹林がある。

この竹も、ほとんどといっていいぐらいに手入れをしていないので、生え放題で、家のすぐ近くに、竹の子が現れた。

きっと根は、家の床下まで伸びていることだろう。

その内、畳を突き破って、家の中に、竹が生えてくるかもしれない。

それでもボクは平然としている。

畳から出てくる竹があるんなら見てみたいもんだなどと屁理屈を言ってみたりする。

全く、自分でも偏屈だと思うが、そんな自分の性格を変える気にもならず、雨の中でも草刈りに励む奥さんを窓越しに眺め、奇異な生き物を見るように見ている。

「晴れより、雨の方がいいねん」

と奥さんは言う。

「その方が蜂が寄って来ないからいいねん」

と。

しかし、ボクにはどうもこの光景はいただけない。

見ようによっては、気がふれたように見える。



今日は、昼近くになると、おだやかな風が、窓から吹き込んでくるようになった。

本当に気持ちが良い。

風も、涼しい。

湿り気がない。

空は晴天とまではいかないが、これぐらいが丁度いいのかもしれない。

こちらに来て、もう随分と経つが、ようやく、何か、テンポがこちらに慣れて来たようだ。

とかなんとか言ってる間に、東京に戻る日が来てしまうのだけれども…。

今、奥さんはまた家の裏手に行き、草刈りをしている。

2010年8月4日水曜日

『春との旅』気仙沼上映会について。

七月三十日の河北新報に、『春との旅』に関する、菅原定治郎さんの投稿が載っていて、近所のIさんが、切り抜きを渡してくれた。


娘さんからの手紙が引用されていて、読んでいて胸に迫るものがあった。


鳴子温泉の大正館の女将さんからも、何度もお手紙をいただいて、それが熱のこもったあたたかい御手紙だったので、それにも励まされた。


七月三十日の三陸新報の投稿は、八月八日に行われる市民会館での上映会に向けての記事で、地元の人たちのこの作品への熱い思いが伝わってくる。


本当なら、鳴子温泉でも、気仙沼でも、いち早く上映会を催さなければいけなかった。


これに関しては、映画が完成してから、何度となく、配給会社にも話をしていたのだけれども、挨拶回りひとつしないままだった。


古川市では、遅れて映画は公開されたが、鳴子温泉では、未だに上映会は行っていないし、苫小牧も静内も同様。(上映会の前に、すでに苫小牧では、シネコンで公開されていた!)


映画が公開される以前は、それでもプロデューサーは、何とか実現をと言ってはいたが、いつの間にか立ち消えてしまい、公開後は、共同配給会社の手に渡り、全ては消滅してしまった。


何とも情けない限りだ。


しかし、とりあえずだが、気仙沼での上映が決まり、ずっと気がかりだったことが、ひとつ解決した。


上映会まで、あと四日。


今は、成功して欲しいとただ祈っている。

2010年8月3日火曜日

2010/07/31

いよいよ、七月も終わる。

今日と明日は、気仙沼の「みなと祭り」。

今日は、昨日入手した『稲妻』と『さらば冬のかもめ』を観ようと思っている。

大映の成瀬作品を観るのは初めて。

楽しみだ。

『さらば~』は、ビデオとレーザーで持っているのだが、比較的安価でDVDを手に入れた。

『稲妻』も同様。

『幕末太陽伝』も売っていたが、こちらは、買わなかった。

ボクはどうもこの映画は好きになれない。

どうしてか判らないが、嫌なのだ。これは生理的なものだから仕方がない。

それでも、帰りの車で、買っておけば良かったと悔やんでいる。

どうしてだろう…?

心底嫌いな映画なんて存在しないに違いない。

映画であれば基本的に好きなのだ。

あとは、観るタイミングだ。

その日の気分や体調も大きく影響しているのはもちろんのことだ。

去年は、『白夜』と『春との旅』で、一年間が終わってしまい、『春との旅』だけが今年に持ち越されている。この後、気仙沼での上映会があり、名古屋近辺での、上映会に行かなければならない。来年の二月なんて言う予定も入っている。

一昨年は『ワカラナイ』の製作。

こちらの方は、とっくに国内での上映は終え、DVDにまでなっているが、海外の映画祭では未だに声が掛かる。

何本かの映画が国内はもとより海外で上映されるのは嬉しい限りだが、映画の本当の評価は、いつまでも残る映画かどうかと言うことだ。

そういう意味では、ボクの映画は、まだ産声を上げたばかりだともいえる。

あと、20年か30年。

最低、それぐらい経たないと判らないだろう。

もちろんボクは、もうこの世にはいない。

だから、自分の映画の行く末は判らないけど、せめて生きてる間に、100年は生き続ける映画を一本でも作ってみたい。

映画を志したのだから、そんな妄想を抱くのは当たり前のことだ。

もちろん、至難の道だと言うことも判っている。





日中、こちらでは虫の鳴き声で、うるさいほどだ。

色んな鳴き声が聞こえる。

虫はなぜ鳴くんだろう?

自分の存在を知らせるために鳴くんだろうか?

もしそうだとしたら、人間も同様だな。

人間は鳴きはしないが、言葉を発する。

声が届かないところには、ツイッターなんてのもある。





『稲妻』観る。

大映での成瀬作品。

原作は、林芙美子。

『めし』が評価され、大映に招かれて作ったのか?

しかし、作品のグレードは、『めし』の方が遥かに良い。

これは、原作の問題も大きいのではないか?

いや、小説としては悪くはないのかも知れないが、映画にするような題材ではなかったのかも知れない。

ボクとしては、何とも消化不良。

ま、もう一度観てみないと判らないことだけど。





「みなと祭り」のはまらいんや踊りに出かけた奥さんと息子を迎えに気仙沼へ。

もどって、ビールといなり寿司。

映画祭もそうだか、ボクはあまり祭りと言うものが好きではない。

だから、あまり行かない。

子供のころからそうで、何度親父に叱られたことか。

でも、息子も奥さんも祭り好き。

健全な母子だ。

時どきうらやましいと思う時もある。

でも、仕方ない。

今更、自分の性格が変えられるわけもない。

ボクは昔から偏屈で、難しい。

そう言う自分も引き受けなくてはならない。

淋しいが、仕方ない。





親からの愛情たっぷりに育ったら、こんな男にはならなかったかも知れない。

博打好きの気性の荒い父親を持つと、こうなると言う見本だな。

だから息子には、ボクの影響で育って欲しくない。

ボクの二の舞は御免だ。

そんな連鎖は、要らない。





『ウォーク・ザ・ライン』観る。

観終わったら、もう夜が明けていた。

ジョニー・キャッシュの人生を描いたこの映画を観て、改めて知ることが沢山あった。

それまでボクは、低音を効かせたナッシュビルのカントリーシンガーとばかり思っていた。

ゴスベルに馴染み、カーターファミリーを子供の頃から聴き、兄を亡くし、ジューン・カーターと再婚したことなど、何も知らなかった。

歌手として成功しながらも、父親に認めて貰えない淋しさに、とても共感した。

もちろんボクは、成功者ではないが、父親から褒められたことはなかったからな。

しかし、ジューン・カーターとの結婚が、キャッシュを再生させる。

舞台でのプロポーズには、観ている方が照れくさくなったが、このぐらいのことがあった方が、いいのかも知れない。作為的の上を行く作為だな。

しかし、ずっと考えていたこととこの映画の根底に流れるものが見事に一致したのは、偶然だが、偶然もまた、必然がもたらした結果なのかな。

2010/07/30

曇り。

朝から、小雨。

いよいよ七月も余すところ二日ばかり。

今年の七月は、猛暑と大雨の繰り返しだったな。

ここ唐桑の家は、いつも長い間留守にしているので、修繕しなくちゃならないところが色々と出てくる。

風呂場の脱衣所の電球が点いたり消えたりしていて、見ると雨漏りしている。

ちかくのIさんに昨夜奥さんが相談したところ、友だちの大工さんが今朝来てくれた、瓦を直してくれた。

でも、漏電の心配は抜けないようで、火事になることもあるので、出るときはブレーカーを切っておくことと言われた。

水周りを直したいのだが、大きなお金が掛かるので、躊躇している。

他にも、家の土台も、しっかりしたものにしたいのだが…、金のかかることばかりで、今は、それも出来ない。

夕方、家族で、石巻のイオンへ。

二時間以上かかる。

脚が、不調。

六時四十分からの『トイストーリー3』を観る予定が、次の回へ。

その間、夕飯。

久しぶりに、中華。

味が濃く感じるが、美味しかった。

『トイストーリー3』観る。

最近は何でも3Dなんだな。

隣で息子は喜んでいたが、3Dはなかなかストーリーに入れない。

慣れが必要なのか?

不覚にもボクは、大笑い、大泣き。

涙で服がぐしょ濡れだ。

誰も走っていない高速を、登米まで。そこからは、一般道。

家に戻ったら、一時近く。

それから、ワールドカップ総集編を見て、寝る。

2010年8月1日日曜日

2010/07/29

息子が飛び火になってしまい、気仙沼の病院へ。

ボクは市内で唯一のファミレスで、診察が終わるのを待つ。

市民会館のMさんが来て、少し話し、息子たちが戻ってきたので昼食をとり、氷の博物館へ。

「さくらボウル」で、息子たちはボウリング。

ボクは眺めるだけ。

帰る頃には、小雨がぱらついてきた。

気温は、28度とある。

それにしては、涼しく感じる。

深夜、『ウェザーマン』観る。

あまり期待はしていなかったが、最後まで、興味深く観ることが出来た。

『パイレーツ~』の監督が、こんな映画を作っていると言うのにも驚かされるが、その演出は、淡々としていて、じっかりと主人公の日常を描いて行く。

モノローグや、主人公のただすまいなど、全体的に『パイレーツ~』のタッチも感じることが出来る。

しかし、この映画の魅力は何と言っても、脚本だろう。

気象キャスターのちぐはくな人生を、時にコミカルに、時にシリアスに描き切ったこの脚本家の力量は、並はずれたものがあるようだ。

そして、それは超人的なと言うよりも、誰もがうらやむような身近な存在だ。

ニコラス・ケイジとマイレル・ケインも、ネガティブな男を演じ、いい味を出している。

まだ未見の方は、ぜひご覧になることをお勧めする。この映画の脚本家の作品には、『潮風とベーコンサンドとヘミングウェイ』と言うのがある。『幸せのちから』もこの人のもの。

どちらも観てみたいものだが、『潮風~』の方は、日本未公開で、DVDにもなっていない。かつてVHSで出たらしいが、廃版になっているようだ。残念!

2010/07/28

昨夜は、悪夢にうなされる。

何年かに一度、必ず見る夢だが、シナリオが書けずもがいている時に決まって見る夢だ。

場所は、池袋の西口駅前にかつてあった新宿のしょんべん横町が混ざったような飲み屋街。そこでヤクザにからまれて、喧嘩になった挙句、「養老の滝」の看板のある居酒屋に掛け込む。

しかし、その居酒屋は名ばかりで、ヤクザのアジトになっていて、巨大な閣楼のようなその居酒屋を、ボクは逃げ惑うことになる。

こう言う夢を見た時は、慌てず騒がずがいいようだ。

なるべく孤独になって、空想を巡らすのがいい。

そこまで判っているんだけど、その先が続かない時もある。

ま、仕方ない。

今日は早めに寝ることにしよう。

2017年の事、そして、18年に向けて、

一昨年に撮影、完成した「海辺のリア」の公開が、6月となり、(これは、完成する前から決まっていたのですが)それまでは、新作のことも考えずに、ただ漫然と公開を待つ日々を送っていました。 映画が完成してしまい、初号試写が終わってしまうと、奇妙な空気が漂い始めます。 何かを始めように...